松下の参入・脱サラ!キッチンショップ開設
S社長とお会いし いくつか教えられた事があります。
ショールーム2Fにて S社の窓口の方と打合せしていた時の事、1F駐車場にスーツ姿の方が傘を差しながらお客様を案内されているのが眼に入りました。打合せしていた方が「あれうちの社長。社員は見習わざるを得ないよネ。」と笑顔で答えられましたが その表情には尊敬出来るトップを持てる幸せを感じました。
社員の服装・車両の管理・ショールームを絶えず清潔にしておく。 工事用車両でさえ「チリひとつないよう」注意され、たまに抜き打ち検査があり「X」社員には雷が落ちたそうです。
ドイツ ジーマティック社の工場・ショールームを訪問した時の事 マネージャーが 「キッチンをなめる事が出来るョ」 と言い 手で展示キッチンを触りなめる仕草をしました。何を意味するのか、すぐには分かりませんでしたが それ程清潔にしているとの意味であり 引き出しの中でさえキレイに保たれていました。専門のお掃除スタッフが、定時にメンテし 不都合があれば別のスタッフが調整するという 信じられない文字通り チリ一つ落ちてない広大なショ-ルームでした。

SieMatic manager 髭が自慢。
「ヒットラーみたい」と言うと少々お冠。
SieMatic に誇りをもっているのが、強く感じられる方でした。
右端は、キッチン黎明期から活躍されたG氏。
1995(平成7年)
日本のショールームはどうでしょうか?薄汚れていたり扉が外れそうになっていたり・・・。
お客様が眼にされたら....夢を売る商品ではなくなってしまいます。
お客様と同行し 国産キッチンショールームを見学する事がありますが、長時間いると耐えられなく感じてしまいます。
「ショールームにいて ただ座っているだけで 何故か安らぎ 癒される。」
ゆったりソファーに座りコーヒーをすする。
私が好きな ドイツ・ポーランドの家具・キッチン・ショールームは 日本とは一味違います。

Forte・ ポーランド ショールームにて
物思いにふける女性(お客様・モデルではありません)
了解いただきシャッター切りました。
スペースの大きさの違いもあると思いますが「生活 ゆとり 楽しさ」という単にものを売ると言う姿勢ではなく、まさしくライフスタイルの提案がベースにあるからだと思います。
海外でキッチンショールームを見つけると 時間の許す限り見学し お店の人に つたない英語でお話をお聞きします。小さな町で素敵なshopを見つけると わくわくします。おもいがけず サンドイッチをご馳走になっつたりと、私の「仕事」にかこつけた楽しみでもあります。
T社と決別したKH社は、ドイツ高級車ディーラーと[フランチャイズ契約]を結び 全国に営業展開をはかります。
一方T社は「街の電気屋さん」を販売網として活用する道を選びましたが、結果は火を見るより明らか、富裕層をターゲットにした「商売」などできるはずなくその後の展開は厳しいものとなりました。
T社のシステムキッチン開始に遅れること1年後、 松下 (現パナソニック )が参入。販売の松下の参入が、業界の活性化に火をつけました。当時のN社の商品は 富裕層をねらった高級キッチン「LLdx」 続いてグレードを下げたシリーズを、順次販売し商売の上手さを見せました。

キッチン納戸(大型食器乾燥機)が当時ベストセラー商品。
「乾燥・そのまま収納」がセールスポイント。キャビネット側板には「ゴキブリショカー」
なる物が装備されていました。

初期のIH ナショナル2口
T社にキッチンのカウンター材を売り込みにきた会社があります。
今では当たり前になっている 「人工大理石・デュポン コーリアン」 です。アクリル樹脂を成型した「ステンレスカウンター」 に変わる素晴らしい素材でした。
T社は 技術研究所にサンプルを持ち込みチェック、結果は「X」でした。曰く耐熱性・耐侯性・耐汚染性 から不可、「台所の使用材としては使えない」という事でしたが、なんとN社は、自社開発の人工大理石を標準仕様として販売したのです。
T社とN社の違い「技術のT社、販売のN社」がよく現れている事例かと思います。当時のT社は、100点満点の商品を追及、一方N社は商品の持つ欠点を知った上消費者に「告知」し逆に良い点をPRする。
両社の違いがその後を暗示しています。
T社が取った生産方式は 従来の流し台と同じ「生産・在庫」方式。予め商品在庫を持つという形態でした。
後に海外の工場を視察した時に、T社がとった「在庫方式」 が間違いだった事を思い知らされました。
T社協力工場で生産開始し、チェックに訪れた時 「倉庫」にうず高く積まれたキッチンキャビネットの山を見て 唖然となりました。「システムキッチン」 は1プロジェクト毎 お客様の希望に会わせ出荷します。
扉の色が2色、キャビネットの種類が00種、 扉のRLにより数百箱という 在庫が必要となります。
出荷後の生産ロットの問題も生じます。工場生産にはラインを稼働させるための最小ロットが必要で 「生産・中止・生産」 を繰り返しては 工場はたまりません。
協力工場を訪問するたびに「次回生産予定は?」と尋ねられ困ったものでした。大東芝の事だからかなりの 発注量を頂けるだろうと期待されていたのですが、現実は....の状態から脱却出来ずにおりました。
海外の工場は、世界のお手本となった「TOYOTAの看板方式」在庫は持たずお客様のオーダーにもとずいた部材発注。扉材はサプライアーに個別発注、カーケース(キャビネットの板材)は大判の材料を在庫、部品在庫もコンピューター管理され、個々のオーダーごとに 見事に無駄なくラインを流れ 最終ストックポイントに揃えられます。
商品在庫は出荷を待つお客様向けの完成品のみ、 出荷もコンピューター管理され整然と出荷されます。
工場は 言わばアッセンブルの場所であり、部材供給のサプライアーの体制が、ヨーロッパ内で出来上がっている為です。
日本は1社中心で「産業構造」が未整備な為各社苦労している訳です。
日本で何社か工場を視察した事がありますが 生産システムはヨーロッパに見習うべきものが多々あると思いす。
「日本のキッチンはまだまだ」と書きましたがその理由のひとつです。システムキッチンは「少量・多品種商品」であり、1メーカーの生産量を確保するには、販売量が少なすぎると言う現実がある訳です。
KH社藤岡工場を視察したことがあります。
「これが工場?」かと思える建物の外観、「良くレストランと間違えられる事がある」とお聞きしましたが、それもうなずけます。

生産ラインは ドイツの機械を輸入しコンピューター管理のもとに生産する、まさにドイツの工場そのものでした。訪れた時はスタート間もなく、ラインには M社扉サンプルが小ロット流れているだけでした。
これだけのラインをフル生産する為には 「一体どれ程のボリュームが必要なの?」 と頭をよぎりました。
東芝システムキッチンSHOP 第1号店
T社に在籍していた頃の私は「独立願望」にとりつかれておりました。
「システムキッチンの魅力」 に自分の気持ちを抑える事出が出来ず、妻の後押しもあり、「T社代理店1号」として独立致しました。自分が担当しておりました部門で「T社代理店への助成策」を企画して、それに乗ろうという「ちゃっかりしたプラン」のもと、都内に「T社システムキッチン代理店」としてショールームを構えました。
当時、マスコミから「T社、若手の脱サラキッチンショップ」として取り上げられたのが、懐かしく思い出されます。何しろ「キッチンショップ」など無い頃でしたから、話題となったのでしょう。

開設当初の「キッチンプラザ」と私
紹介記事の写真(1980 昭和55年) 若かったですね・・・・・・
しかし独立後 T社方針の変更により助成策は立ち消え まさに「2階に登りはしご段をはずされた」状態。「泣くに泣けない」とはこの事。しかし船は既に出港した訳ですから、無我夢中で働きました。
T社元同僚が 見るに見かねて応援してくれ、このときほど人の有り難さを痛感し、またサラリーマンの悲しさも実感致しました。
独立前に上司が 「T社の人間で独立して成功した人はいない。必ず誰か足をひっぱるから・・・。頑張って成功してくれ。」と励まされたことを思い出しました。
開店後1年ほど過ぎたある日突然、N社の訪問を受けました。用件は「N社システムキッチンの代理店」になってくれと言う申し入れ。私が「T社代理店」をしている事を、あらためて伝えても「一向に構わない。是非に」と言われ当惑致しました。T社では考えられない話でしたが、他社の事を知るのも面白い程度の気持ちで、N社の研修に参加させてもらいました。
研修参加が代理店資格の条件とのことでしたが 奈良の研修センターでの1週間の経験は驚きでした。
集合場所の奈良「N社研修センター」入り口には、センター職員総出でお出迎え、まるで有名旅館でのシーンと同じ光景。毎日の研修前には、講師の方による、松下 幸之助さんの教え」の絵巻の朗読。研修終了時には、大学の卒業式と同じ総長さんの様な式服に包まれた センター長さんから「卒業証書」が全員に、うやうやしく手渡されました。勿論「幸之助」の名前入りです。徹底した「幸之助イズム」が流れている事を痛感しました。
退所する時も全職員が並び、頭をさげてのお見送り。研修後、頭を下げられてのお見送りは初めての経験でした。
N社の販売店は「N社の大事なお客様である」との、徹底した扱いはT社には無い社風です。少なくとも上から目線のT社との違い「経営の神様」に改めてなるほどと感じ入った出来事でした。
帰京して、早速N社営業所を訪問しましたが社屋入り口から一歩入ると、仕事中の社員全員が「社長!お世話になります!」 と一斉に立ち上がり挨拶され、思わず照れたものです。本音はともかく、人をおだてて(言葉は悪いが・・・) その気にさせる。
T社との違いを痛感しました。
T社扱いが減少する中で、N社との仕事が増え、T社の看板は徐々に意味の無い状況になって行きました。
当時記憶に残る これからもお会い出来ないであろうお客様との出会い。
エピソード1・
N社の長年のお客様がリフォームを計画。家電店の社長様からの情報によりキッチン「LLdx」をプラン。
プレゼンのため「カラーパース」を持参しお客様宅訪問。住所を尋ねましたら「○区 ○町 ○様 だけで分かる」と言われました。
当時は勿論カーナビなど無く、○町に到着し、酒屋さんを見つけ○様を尋ねると「あちらに見える森が○様」と教えられました。
鬱蒼とした森が眼に入りました。
お陰ですんなり、○様宅の大きな門前に到着し、お手伝いさんに案内してもらいましたが、広大なお庭にはミニSLの線路があり機関車が、池には大きな鯉が悠然と泳いでおりました。
応接間に通され待つ事数分、上品な奥様にお会い出来ました。
早速プレゼンのカラーパース(当時は3Dなどなく手書き)をご覧頂き、見積書は、電気店の社長からお渡ししました。
数分間の沈黙ののち
「このイメージ素敵ね。私の希望にぴったり。これでお願いします。」
値引の話しなど一切なし。
続いて「いつから工事にかかれますか?」と一言。
私の30年以上のキッチンビジネスの中で「即断 即決」はこのお客様だけ、恐らく今後も無いでしょう。
700万を超えるキッチンでした。
N社電気屋さんの社長のお話では、「○様は家電品を全て電話で注文され、何十年とお届けしている。代金も請求書通り、いつもきちっと支払って下さる。」との事でした。N社 社長さんへの「絶大な信頼」が築かれているのでしょう。
当時 N社は業績の伸びに代理店、とりわけ「システムキッチン」の扱えるお店が不足しており、私のような元T社の人間にまで、頼っていただけたんだと思います。
T社はと言うと、関連会社 取引会社の社長さん宅の仕事等、グループ企業内の言わば身内がほとんどであり、N社の後塵を歩むばかり。 当初のコンセプトなど....差がつくばかり、息の根を止められるのは時間の問題でした。
エピソード2・
「LLdx」 が発売開始直後に工事依頼が飛び込んできました。やはり800万というキッチン。図面はあるが、施工マニュアルがまだ無い状況、工事費として10%の予算。「これだけあれば何とかなるだろう」という職人さんとの話し合いで仕事を請けましたが、部材の細かさが余りに多く辟易いたしました。
今から思えば「夢のような時代」でした。
C&C Kitdhen ホームページ
ショールーム2Fにて S社の窓口の方と打合せしていた時の事、1F駐車場にスーツ姿の方が傘を差しながらお客様を案内されているのが眼に入りました。打合せしていた方が「あれうちの社長。社員は見習わざるを得ないよネ。」と笑顔で答えられましたが その表情には尊敬出来るトップを持てる幸せを感じました。
社員の服装・車両の管理・ショールームを絶えず清潔にしておく。 工事用車両でさえ「チリひとつないよう」注意され、たまに抜き打ち検査があり「X」社員には雷が落ちたそうです。
ドイツ ジーマティック社の工場・ショールームを訪問した時の事 マネージャーが 「キッチンをなめる事が出来るョ」 と言い 手で展示キッチンを触りなめる仕草をしました。何を意味するのか、すぐには分かりませんでしたが それ程清潔にしているとの意味であり 引き出しの中でさえキレイに保たれていました。専門のお掃除スタッフが、定時にメンテし 不都合があれば別のスタッフが調整するという 信じられない文字通り チリ一つ落ちてない広大なショ-ルームでした。

SieMatic manager 髭が自慢。
「ヒットラーみたい」と言うと少々お冠。
SieMatic に誇りをもっているのが、強く感じられる方でした。
右端は、キッチン黎明期から活躍されたG氏。
1995(平成7年)
日本のショールームはどうでしょうか?薄汚れていたり扉が外れそうになっていたり・・・。
お客様が眼にされたら....夢を売る商品ではなくなってしまいます。
お客様と同行し 国産キッチンショールームを見学する事がありますが、長時間いると耐えられなく感じてしまいます。
「ショールームにいて ただ座っているだけで 何故か安らぎ 癒される。」
ゆったりソファーに座りコーヒーをすする。
私が好きな ドイツ・ポーランドの家具・キッチン・ショールームは 日本とは一味違います。

Forte・ ポーランド ショールームにて
物思いにふける女性(お客様・モデルではありません)
了解いただきシャッター切りました。
スペースの大きさの違いもあると思いますが「生活 ゆとり 楽しさ」という単にものを売ると言う姿勢ではなく、まさしくライフスタイルの提案がベースにあるからだと思います。
海外でキッチンショールームを見つけると 時間の許す限り見学し お店の人に つたない英語でお話をお聞きします。小さな町で素敵なshopを見つけると わくわくします。おもいがけず サンドイッチをご馳走になっつたりと、私の「仕事」にかこつけた楽しみでもあります。
T社と決別したKH社は、ドイツ高級車ディーラーと[フランチャイズ契約]を結び 全国に営業展開をはかります。
一方T社は「街の電気屋さん」を販売網として活用する道を選びましたが、結果は火を見るより明らか、富裕層をターゲットにした「商売」などできるはずなくその後の展開は厳しいものとなりました。
T社のシステムキッチン開始に遅れること1年後、 松下 (現パナソニック )が参入。販売の松下の参入が、業界の活性化に火をつけました。当時のN社の商品は 富裕層をねらった高級キッチン「LLdx」 続いてグレードを下げたシリーズを、順次販売し商売の上手さを見せました。


キッチン納戸(大型食器乾燥機)が当時ベストセラー商品。
「乾燥・そのまま収納」がセールスポイント。キャビネット側板には「ゴキブリショカー」
なる物が装備されていました。

初期のIH ナショナル2口
T社にキッチンのカウンター材を売り込みにきた会社があります。
今では当たり前になっている 「人工大理石・デュポン コーリアン」 です。アクリル樹脂を成型した「ステンレスカウンター」 に変わる素晴らしい素材でした。
T社は 技術研究所にサンプルを持ち込みチェック、結果は「X」でした。曰く耐熱性・耐侯性・耐汚染性 から不可、「台所の使用材としては使えない」という事でしたが、なんとN社は、自社開発の人工大理石を標準仕様として販売したのです。
T社とN社の違い「技術のT社、販売のN社」がよく現れている事例かと思います。当時のT社は、100点満点の商品を追及、一方N社は商品の持つ欠点を知った上消費者に「告知」し逆に良い点をPRする。
両社の違いがその後を暗示しています。
T社が取った生産方式は 従来の流し台と同じ「生産・在庫」方式。予め商品在庫を持つという形態でした。
後に海外の工場を視察した時に、T社がとった「在庫方式」 が間違いだった事を思い知らされました。
T社協力工場で生産開始し、チェックに訪れた時 「倉庫」にうず高く積まれたキッチンキャビネットの山を見て 唖然となりました。「システムキッチン」 は1プロジェクト毎 お客様の希望に会わせ出荷します。
扉の色が2色、キャビネットの種類が00種、 扉のRLにより数百箱という 在庫が必要となります。
出荷後の生産ロットの問題も生じます。工場生産にはラインを稼働させるための最小ロットが必要で 「生産・中止・生産」 を繰り返しては 工場はたまりません。
協力工場を訪問するたびに「次回生産予定は?」と尋ねられ困ったものでした。大東芝の事だからかなりの 発注量を頂けるだろうと期待されていたのですが、現実は....の状態から脱却出来ずにおりました。
海外の工場は、世界のお手本となった「TOYOTAの看板方式」在庫は持たずお客様のオーダーにもとずいた部材発注。扉材はサプライアーに個別発注、カーケース(キャビネットの板材)は大判の材料を在庫、部品在庫もコンピューター管理され、個々のオーダーごとに 見事に無駄なくラインを流れ 最終ストックポイントに揃えられます。
商品在庫は出荷を待つお客様向けの完成品のみ、 出荷もコンピューター管理され整然と出荷されます。
工場は 言わばアッセンブルの場所であり、部材供給のサプライアーの体制が、ヨーロッパ内で出来上がっている為です。
日本は1社中心で「産業構造」が未整備な為各社苦労している訳です。
日本で何社か工場を視察した事がありますが 生産システムはヨーロッパに見習うべきものが多々あると思いす。
「日本のキッチンはまだまだ」と書きましたがその理由のひとつです。システムキッチンは「少量・多品種商品」であり、1メーカーの生産量を確保するには、販売量が少なすぎると言う現実がある訳です。
KH社藤岡工場を視察したことがあります。
「これが工場?」かと思える建物の外観、「良くレストランと間違えられる事がある」とお聞きしましたが、それもうなずけます。

生産ラインは ドイツの機械を輸入しコンピューター管理のもとに生産する、まさにドイツの工場そのものでした。訪れた時はスタート間もなく、ラインには M社扉サンプルが小ロット流れているだけでした。
これだけのラインをフル生産する為には 「一体どれ程のボリュームが必要なの?」 と頭をよぎりました。
東芝システムキッチンSHOP 第1号店
T社に在籍していた頃の私は「独立願望」にとりつかれておりました。
「システムキッチンの魅力」 に自分の気持ちを抑える事出が出来ず、妻の後押しもあり、「T社代理店1号」として独立致しました。自分が担当しておりました部門で「T社代理店への助成策」を企画して、それに乗ろうという「ちゃっかりしたプラン」のもと、都内に「T社システムキッチン代理店」としてショールームを構えました。
当時、マスコミから「T社、若手の脱サラキッチンショップ」として取り上げられたのが、懐かしく思い出されます。何しろ「キッチンショップ」など無い頃でしたから、話題となったのでしょう。


開設当初の「キッチンプラザ」と私
紹介記事の写真(1980 昭和55年) 若かったですね・・・・・・
しかし独立後 T社方針の変更により助成策は立ち消え まさに「2階に登りはしご段をはずされた」状態。「泣くに泣けない」とはこの事。しかし船は既に出港した訳ですから、無我夢中で働きました。
T社元同僚が 見るに見かねて応援してくれ、このときほど人の有り難さを痛感し、またサラリーマンの悲しさも実感致しました。
独立前に上司が 「T社の人間で独立して成功した人はいない。必ず誰か足をひっぱるから・・・。頑張って成功してくれ。」と励まされたことを思い出しました。
開店後1年ほど過ぎたある日突然、N社の訪問を受けました。用件は「N社システムキッチンの代理店」になってくれと言う申し入れ。私が「T社代理店」をしている事を、あらためて伝えても「一向に構わない。是非に」と言われ当惑致しました。T社では考えられない話でしたが、他社の事を知るのも面白い程度の気持ちで、N社の研修に参加させてもらいました。
研修参加が代理店資格の条件とのことでしたが 奈良の研修センターでの1週間の経験は驚きでした。
集合場所の奈良「N社研修センター」入り口には、センター職員総出でお出迎え、まるで有名旅館でのシーンと同じ光景。毎日の研修前には、講師の方による、松下 幸之助さんの教え」の絵巻の朗読。研修終了時には、大学の卒業式と同じ総長さんの様な式服に包まれた センター長さんから「卒業証書」が全員に、うやうやしく手渡されました。勿論「幸之助」の名前入りです。徹底した「幸之助イズム」が流れている事を痛感しました。
退所する時も全職員が並び、頭をさげてのお見送り。研修後、頭を下げられてのお見送りは初めての経験でした。
N社の販売店は「N社の大事なお客様である」との、徹底した扱いはT社には無い社風です。少なくとも上から目線のT社との違い「経営の神様」に改めてなるほどと感じ入った出来事でした。
帰京して、早速N社営業所を訪問しましたが社屋入り口から一歩入ると、仕事中の社員全員が「社長!お世話になります!」 と一斉に立ち上がり挨拶され、思わず照れたものです。本音はともかく、人をおだてて(言葉は悪いが・・・) その気にさせる。
T社との違いを痛感しました。
T社扱いが減少する中で、N社との仕事が増え、T社の看板は徐々に意味の無い状況になって行きました。
当時記憶に残る これからもお会い出来ないであろうお客様との出会い。
エピソード1・
N社の長年のお客様がリフォームを計画。家電店の社長様からの情報によりキッチン「LLdx」をプラン。
プレゼンのため「カラーパース」を持参しお客様宅訪問。住所を尋ねましたら「○区 ○町 ○様 だけで分かる」と言われました。
当時は勿論カーナビなど無く、○町に到着し、酒屋さんを見つけ○様を尋ねると「あちらに見える森が○様」と教えられました。
鬱蒼とした森が眼に入りました。
お陰ですんなり、○様宅の大きな門前に到着し、お手伝いさんに案内してもらいましたが、広大なお庭にはミニSLの線路があり機関車が、池には大きな鯉が悠然と泳いでおりました。
応接間に通され待つ事数分、上品な奥様にお会い出来ました。
早速プレゼンのカラーパース(当時は3Dなどなく手書き)をご覧頂き、見積書は、電気店の社長からお渡ししました。
数分間の沈黙ののち
「このイメージ素敵ね。私の希望にぴったり。これでお願いします。」
値引の話しなど一切なし。
続いて「いつから工事にかかれますか?」と一言。
私の30年以上のキッチンビジネスの中で「即断 即決」はこのお客様だけ、恐らく今後も無いでしょう。
700万を超えるキッチンでした。
N社電気屋さんの社長のお話では、「○様は家電品を全て電話で注文され、何十年とお届けしている。代金も請求書通り、いつもきちっと支払って下さる。」との事でした。N社 社長さんへの「絶大な信頼」が築かれているのでしょう。
当時 N社は業績の伸びに代理店、とりわけ「システムキッチン」の扱えるお店が不足しており、私のような元T社の人間にまで、頼っていただけたんだと思います。
T社はと言うと、関連会社 取引会社の社長さん宅の仕事等、グループ企業内の言わば身内がほとんどであり、N社の後塵を歩むばかり。 当初のコンセプトなど....差がつくばかり、息の根を止められるのは時間の問題でした。
エピソード2・
「LLdx」 が発売開始直後に工事依頼が飛び込んできました。やはり800万というキッチン。図面はあるが、施工マニュアルがまだ無い状況、工事費として10%の予算。「これだけあれば何とかなるだろう」という職人さんとの話し合いで仕事を請けましたが、部材の細かさが余りに多く辟易いたしました。
今から思えば「夢のような時代」でした。
C&C Kitdhen ホームページ
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システムキッチン界の生き字引
さすが先輩!30年以上前のシステムキッチン黎明期なんて知ってる人はどのくらいいるんでしょう?
「本」にしたら売れるかも?
この、先輩のブログ、僕のブログにリンクを貼りました。
「本」にしたら売れるかも?
この、先輩のブログ、僕のブログにリンクを貼りました。