その後のキッチンハウス
No.4 -5にキッチンハウスのスタート時点のことにふれました。
KH社の前身は、関東ユーデルという会社です。
S社長が,Mデパート外商にいらした頃、海外で「セントラルヒーティング」を知り、日本で扱われたそうです。社名の「ユーデル」は「湯出る」をもじったそうです。
富裕層をターゲットにした商品で、好評だったそうです。
その延長線上にあるものが「輸入システムキッチン」です。
当初、世田谷にショールームをオープンされましたが、社長の奥様が担当されて、1Fに「キッチン関連の小物」を扱われました。
商品は女性、奥様が欲しくなる、素敵なアイテム(台所用品、アクセサリー類)でした。
当時、私がお会いしたお客様の中にも、マニアのような方がいらっしゃいました。
現在の「fran2フランフラン」の高級版という感じでしょうか。
私も、影響され「東芝システムキッチンshop」を開設した時に、小物を販売致しました。
KHのフランチャイズに加盟するには、多額の「加盟金」が必要で、扱いを断念致しました。
KH社スタート時に、S社長がヘットハンティングされた、I専務(当時)が、小物の扱いの難しさ、「在庫管理」が大変と、嘆いていらっしゃいました。
I専務さんは、私と同世代で大手商社出身。
上野毛の本社(当時は本社兼倉庫)にお邪魔した時、お互い3K(3苦)の代表のようなキッチン業界を嘆いたものです。
しかし、I専務はKH社を業界の「リーダーカンパニー」にする、という熱い思いを語られていました。
文字通りS社長を支え、30年以上働かれ、今日のKH社を築きあげた訳です。
No 7にて、ライヒキッチンの事にふれましたが、扱い会社のX事業部長,no,2のG氏の退職後、扱いが消えました。
「企業は人なり」との喩えのように、キッチン業界では「人材」の重要性を、痛感します。
ドイツ・アルノキッチンの輸入から始まり、藤岡工場稼働、フランチャイズ店のスタート(高級外車販売会社)と進められましたが、その後「直営店」に方向転換されました。
数年前に、S社長は退かれ、現在は㈱TJMデザインという会社の「キッチンハウス事業部」という扱いになっております。

キッチンハウスURLより
エピソード1
Yさんという、ユニークな社員がいらっしゃいました。
S社長談
ある日ショールームで、お客様に一生懸命説明している見かけぬ社員がいたそうです。
「KHも大きくなったもんだ。社員の顔を覚えられなくなった。」と思われたそうです。
しかし、当日何人かの入社面接があり、その中に「見かけぬ社員」がいたそうです。
その根性に惚れ、S社長「即決」したそうです。
見かけぬ社員 「Yさん」も、長年KH社で働かれ、KH社を支えたお一人です。
kitchenplazaホームページ
KH社の前身は、関東ユーデルという会社です。
S社長が,Mデパート外商にいらした頃、海外で「セントラルヒーティング」を知り、日本で扱われたそうです。社名の「ユーデル」は「湯出る」をもじったそうです。
富裕層をターゲットにした商品で、好評だったそうです。
その延長線上にあるものが「輸入システムキッチン」です。
当初、世田谷にショールームをオープンされましたが、社長の奥様が担当されて、1Fに「キッチン関連の小物」を扱われました。
商品は女性、奥様が欲しくなる、素敵なアイテム(台所用品、アクセサリー類)でした。
当時、私がお会いしたお客様の中にも、マニアのような方がいらっしゃいました。
現在の「fran2フランフラン」の高級版という感じでしょうか。
私も、影響され「東芝システムキッチンshop」を開設した時に、小物を販売致しました。
KHのフランチャイズに加盟するには、多額の「加盟金」が必要で、扱いを断念致しました。
KH社スタート時に、S社長がヘットハンティングされた、I専務(当時)が、小物の扱いの難しさ、「在庫管理」が大変と、嘆いていらっしゃいました。
I専務さんは、私と同世代で大手商社出身。
上野毛の本社(当時は本社兼倉庫)にお邪魔した時、お互い3K(3苦)の代表のようなキッチン業界を嘆いたものです。
しかし、I専務はKH社を業界の「リーダーカンパニー」にする、という熱い思いを語られていました。
文字通りS社長を支え、30年以上働かれ、今日のKH社を築きあげた訳です。
No 7にて、ライヒキッチンの事にふれましたが、扱い会社のX事業部長,no,2のG氏の退職後、扱いが消えました。
「企業は人なり」との喩えのように、キッチン業界では「人材」の重要性を、痛感します。
ドイツ・アルノキッチンの輸入から始まり、藤岡工場稼働、フランチャイズ店のスタート(高級外車販売会社)と進められましたが、その後「直営店」に方向転換されました。
数年前に、S社長は退かれ、現在は㈱TJMデザインという会社の「キッチンハウス事業部」という扱いになっております。

キッチンハウスURLより
エピソード1
Yさんという、ユニークな社員がいらっしゃいました。
S社長談
ある日ショールームで、お客様に一生懸命説明している見かけぬ社員がいたそうです。
「KHも大きくなったもんだ。社員の顔を覚えられなくなった。」と思われたそうです。
しかし、当日何人かの入社面接があり、その中に「見かけぬ社員」がいたそうです。
その根性に惚れ、S社長「即決」したそうです。
見かけぬ社員 「Yさん」も、長年KH社で働かれ、KH社を支えたお一人です。
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三井ホームのインテリアコーディネーター(続)
三井ホームのIC(インテリアコーディネーター)にとって、ステータスは「モデルハウス」を担当する事。
○○ICが○○モデルを担当し、お客様の反響は・・・と、大変熾烈な「女の闘い」の場でもありました。

三井ホームURLより・草加モデル
どのICに依頼するかは、営業所の所長の裁量によりました。
ある所長に「大勢の女性に囲まれてハーレムみたい。」と話したことがありますが、「女性は自分の嫁さん1人で十分。気疲れしてかないません。」とこぼしていました。
ベテラン,若手ICを「束ねる」大変さをこぼしていました。
エピソード1.
竣工間近のモデルハウスの現場に行った時、子供の泣き声がきこえました。
お客様?と思いましたが、子供さんを背負った女性が、なにやら飾りつけをしています。
顔を見ると、○IC.
化粧気もなく普段の○ICとは別人の様(失礼・・・)
「どうされたのですか?」と尋ねると、「いつもは母が子供を見てくれているのですが、
今日は都合悪く、見てもらえず。仕方なく私が負ぶって仕事」との事。
見かねて私が、即席の託児所になりました。
子育ての中、仕事を必死にされている姿に、○ICのプロ根性を感じました。
こういうICの先輩方が、今日の「インテリアコーディネーター」の基礎を作られたのでしょう。
三井グループ初の女性役員となられたIC 村上 英子先生も、働く女性として
子育てと仕事の両立に苦労されたと、語られております。
エピソード2.
同じく、竣工間近のモデルハウスでの事。
玄関から入ると、何やら「女性の鳴き声」が・・・
ただ事ではないと、ドアを開けると ○Iの姿が眼に飛び込んで着ました。
私の顔を見るや、「上野さん・・。誰も私の言う事聞いてくれないの・・・」
と一際泣き声が大きくなり、お化粧もグチャグチャの顔に、ひとしきり大粒の涙。
どうやら竣工時期が間近に迫る中、
ICの意図したものと違う内容になってしまっている事が,出て来たのですが,
「度重なる変更」に現場の職人さんが「もうやってられねーー。」
となってしまったようです。
「とにかくオープンめざしてやるしかない!」と話しあい、○ICも落ち着きを取り戻し、
職人さん方も納得され、工事再開。
現場を出る時に、送ってくれた、○ICの顔は「女性」から「プロのIC」の顔に戻っていました。
恐らく○ICにとり、思い出のモデルハウスになった事でしょう。
それにつけても、前述の所長の苦労が垣間見えました。
kitchenplazaホームページ
○○ICが○○モデルを担当し、お客様の反響は・・・と、大変熾烈な「女の闘い」の場でもありました。

三井ホームURLより・草加モデル
どのICに依頼するかは、営業所の所長の裁量によりました。
ある所長に「大勢の女性に囲まれてハーレムみたい。」と話したことがありますが、「女性は自分の嫁さん1人で十分。気疲れしてかないません。」とこぼしていました。
ベテラン,若手ICを「束ねる」大変さをこぼしていました。
エピソード1.
竣工間近のモデルハウスの現場に行った時、子供の泣き声がきこえました。
お客様?と思いましたが、子供さんを背負った女性が、なにやら飾りつけをしています。
顔を見ると、○IC.
化粧気もなく普段の○ICとは別人の様(失礼・・・)
「どうされたのですか?」と尋ねると、「いつもは母が子供を見てくれているのですが、
今日は都合悪く、見てもらえず。仕方なく私が負ぶって仕事」との事。
見かねて私が、即席の託児所になりました。
子育ての中、仕事を必死にされている姿に、○ICのプロ根性を感じました。
こういうICの先輩方が、今日の「インテリアコーディネーター」の基礎を作られたのでしょう。
三井グループ初の女性役員となられたIC 村上 英子先生も、働く女性として
子育てと仕事の両立に苦労されたと、語られております。
エピソード2.
同じく、竣工間近のモデルハウスでの事。
玄関から入ると、何やら「女性の鳴き声」が・・・
ただ事ではないと、ドアを開けると ○Iの姿が眼に飛び込んで着ました。
私の顔を見るや、「上野さん・・。誰も私の言う事聞いてくれないの・・・」
と一際泣き声が大きくなり、お化粧もグチャグチャの顔に、ひとしきり大粒の涙。
どうやら竣工時期が間近に迫る中、
ICの意図したものと違う内容になってしまっている事が,出て来たのですが,
「度重なる変更」に現場の職人さんが「もうやってられねーー。」
となってしまったようです。
「とにかくオープンめざしてやるしかない!」と話しあい、○ICも落ち着きを取り戻し、
職人さん方も納得され、工事再開。
現場を出る時に、送ってくれた、○ICの顔は「女性」から「プロのIC」の顔に戻っていました。
恐らく○ICにとり、思い出のモデルハウスになった事でしょう。
それにつけても、前述の所長の苦労が垣間見えました。
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Activity in GUAM

何故か、現地の子供に慕われました。私は「子供英会話教室」の生徒。

大きな「ナマコ」 誤って足で踏むと「キュー」と鳴きます。
手前はサンゴ。
海中で、太陽の光があたるとまさに「宝石」

元日本兵「横井庄一さん」の住まい。YOKOI CAVE を探してジャングルを走破。
残念ながら、住まい(穴)は既に埋められておりました。

ジャングルから脱出!
しかし道路との間に大きな側溝が待ち受けていました。
決死のダイビング!
通りかかった米軍の人達の見守る中、Jeepは大きくジャンプしながら着地。
大きな「拍手」が沸き起こりました。
4泊5日のグァム旅行も無事終了。
「海外旅行」の楽しさに、目覚めさせて頂いた「遊びの達人Aさん」です。
この後、家族を連れてグァムを再訪したのを皮切りに、サイパン、シンガポール(2)
香港、ソウル(2) アメリカ西海岸(3)ケアンズ、とすっかり「海外旅行」の
魅力に、とりつかれてしまいました。
この事が、その後の私の「Kitchen business life」に
大きな影響を及ぼす事となります。
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三井ホームのインテリアコーディネーター
三井ホームのインテリアコーディネーター(略称IC)は、業界の先駆けとして、住宅建設には「女性禁止」という、古いしきたりの残る中スタートさせた、画期的なものであり、現在当たり前になったIC の先駆けと言えるでしょう。他社も後を追い、現在は大手、中小、規模を問わずIC を採用されているのは当たり前になっています。
現在、社団法人インテリア産業協会(設立昭和58年)において、認定資格制度として、
IC を目指す方の、最初の登竜門として、広く知られる事となっています。
IC の業務は、華やかで綺麗な仕事のように見られますが、実際は「ハードで厳しい」仕事です。報酬面でも決して恵まれているとはいえず、ほんの一握りの方が、それなりの報酬を得ている、と言うのが実情です。
千葉工業大の「小原 二郎先生」(最初の新幹線の椅子をデザインされた方、日本のインテリア業界の育ての親)が「士農工商・インテリア」と言う話しをされました。
IC は、江戸時代の階級制度のさらに下部階級にある厳しい仕事、と言う意味だそうですが、言いえて妙だと思います。
三井ホーム 岡田社長(当時)は、私に「士農工商、インテリア、犬、猫、キッチン」と言われました。
この言葉も、言いえて妙と、思わず感心しました。
本家アメリカでは、IC の報酬は日本とは桁外れ、という話しを聞きました。弁護士報酬と同じように、「仕事に対するFeeとして確立されている」そうです。
有名IC は顧客からの依頼に、何日か一緒に生活し、顧客の「生活様式、考え方、希望」をつかみ、完璧に応えるそうです。お客様は「自分の1番快適な暮らし」を手に入れることが出来、納得されてFeeを支払う、金額は日本では想像出来ない高報酬だそうです。
ちなみに、三井ホーム(当時)では、IC が1件お客様にアテンドすると、基本Feeとして○万円、インテリア商品(カーテン・照明等標準外商品)を扱うと別途Feeを頂ける、という仕組みでした。
私が三井ホームにお世話になった時は、IC はシステムキッチンを扱うことが出来ませんでした。それなりの専門知識.・経験が求められたからです。
扱い量拡大とIC からの要望もあり、IC がシステムキッチンを扱うための、社内資格試験を行う事となりました。
全国の三井ホームの支店をまわり、レクチャーさせて頂きましたが、ベテランIC の前では
さすがに緊張し、「上野さん、何緊張してるのよ!」と激を飛ばされました。
このとき、教材として使用したのが SieMatic の Aさんに応援してもらった「マニュアル」です。

三井ホームで最初の「女性役員」となられた、村上 英子先生
IC の先駆けとして、今日まで活躍されています。
2年程前にお会いする機会がありましたが、上品に年齢を重ねられていらっしゃいました。
kitchenplazaホームページ
現在、社団法人インテリア産業協会(設立昭和58年)において、認定資格制度として、
IC を目指す方の、最初の登竜門として、広く知られる事となっています。
IC の業務は、華やかで綺麗な仕事のように見られますが、実際は「ハードで厳しい」仕事です。報酬面でも決して恵まれているとはいえず、ほんの一握りの方が、それなりの報酬を得ている、と言うのが実情です。
千葉工業大の「小原 二郎先生」(最初の新幹線の椅子をデザインされた方、日本のインテリア業界の育ての親)が「士農工商・インテリア」と言う話しをされました。
IC は、江戸時代の階級制度のさらに下部階級にある厳しい仕事、と言う意味だそうですが、言いえて妙だと思います。
三井ホーム 岡田社長(当時)は、私に「士農工商、インテリア、犬、猫、キッチン」と言われました。
この言葉も、言いえて妙と、思わず感心しました。
本家アメリカでは、IC の報酬は日本とは桁外れ、という話しを聞きました。弁護士報酬と同じように、「仕事に対するFeeとして確立されている」そうです。
有名IC は顧客からの依頼に、何日か一緒に生活し、顧客の「生活様式、考え方、希望」をつかみ、完璧に応えるそうです。お客様は「自分の1番快適な暮らし」を手に入れることが出来、納得されてFeeを支払う、金額は日本では想像出来ない高報酬だそうです。
ちなみに、三井ホーム(当時)では、IC が1件お客様にアテンドすると、基本Feeとして○万円、インテリア商品(カーテン・照明等標準外商品)を扱うと別途Feeを頂ける、という仕組みでした。
私が三井ホームにお世話になった時は、IC はシステムキッチンを扱うことが出来ませんでした。それなりの専門知識.・経験が求められたからです。
扱い量拡大とIC からの要望もあり、IC がシステムキッチンを扱うための、社内資格試験を行う事となりました。
全国の三井ホームの支店をまわり、レクチャーさせて頂きましたが、ベテランIC の前では
さすがに緊張し、「上野さん、何緊張してるのよ!」と激を飛ばされました。
このとき、教材として使用したのが SieMatic の Aさんに応援してもらった「マニュアル」です。

三井ホームで最初の「女性役員」となられた、村上 英子先生
IC の先駆けとして、今日まで活躍されています。
2年程前にお会いする機会がありましたが、上品に年齢を重ねられていらっしゃいました。
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初めての「GUN SHOOTINNG]

和製「ランボー」 Aさん。
腕前はさすが。この後大口径「マグナム」に挑戦しました。
インストラクターの「OK」が出ないと、口径の大きなものを使用することが出来ません


必死の形相!
手に伝わる衝撃は,小口径(22)にも係わらず相当なもの。
スクリーンの中のように,片手などではとても扱えません。
私の隣に、日本の若いカップルが並んで、射撃しておりましたが
突然女性が「私、怖-い!」と言って、持っていた「GUN」を目の前の台に
放り投げました。
銃口はまさに私の方を向いて!
思わず凍りつきました。(銃には、弾が残ったまま。)
インストラクターが飛んできて、叱りつけました。
しかし英語の為、意味は分からず、剣幕に押されて、二人で
すごすごと出て行きました。
ハネムーンの苦い思い出となった事でしょう。

マグナムに挑戦・大音響のため耳あてを使用。
すさまじい衝撃音!
後方に若い女性が見えます。
普段「銃」など縁の無い「日本」
無理ないこととは思いますが、軽い気持ちで「銃」
を扱う「危険性」を思いました。
「初めての水上スキー」
三井ホーム(SieMaticとの取引開始) グアム観光
三井ホームの中で、仕事量が増加し「キッチンデザイナー」の絶対数が不足しており、連日残業続き。何とかしなければと、思い悩んでいる時に、A係長より、「会社からNO.1 キッチンデザイナーを出向させます。業務の内容はお任せします。」という、ありがたい提案。
お客様のご希望にあわせ、扱いメーカー全てに対応OKとの話し。
当時「キッチンデザイナー」という職種は新しく、即戦力になる人材確保が厳しい時代でした。出向してきた方は、他のメンバーとも打ち解け、お手本ともなり素晴らしいチームとなりました。
結果的に「SieMatic」の認知度もあがり、扱い量も増加。
すると、他社も負けじと同じ提案をされました。
今思うと、Aさんは「相手が何を望んでいるのか」分かることが出来る、「営業」だったのですネ。
エピソード2.
Aさんと、個人的にお付合いが増してゆきましたが、彼は私に無い物を気付かせてくれました。
私は、当時海外旅行の経験なし。彼は仕事柄ドイツ他経験豊富。
「グァム島」へ行きましょうという話しがまとまり、ご一緒しました。
初めての海外旅行では「近場」でビギナー向け。「アメリカらしさも味わえる」という勧めでの選択でした。
グァムの飛行場に降り立ち、一歩外に出ると、日本とはまったく異なる「外国」
(当たり前の事ですが)南国ムード溢れる異国。見たこともない青空、エメラルドの海、アメリカらしさを感じる町並み。今でも鮮明に思いだされます。

ホテルに到着し部屋に着くと、オーシャンビューどころか、反対側の、ゴミ処理場の上の部屋でした。

翌朝、レストランで朝食。ビュッフェスタイルに戸惑いAさんのエスコートで何とか・・・。
その後、Aさんは「ちょっと待っててネ」と言い、フロントへ、何か話していました。
当時の私は英会話がダメで、何を話しているのか皆目わからず。
その日夕刻ホテルに戻ると、何と!オーシャンビューの上階へ、部屋が移されていました。
「自分の大変重要なVIPを招待したのに、あんな部屋では仕事キャンセルされてしまう。何とかしてくれ。」とクレームつけたそうです。
私はVIPでもありませんが、Aさんの気転と英語力に感心もし、同じ学校を出ながら何も話せない、自分に気付かされました。
エピソード3.
海岸近くの「黒いナマコ」群を過ぎると、沖のサンゴ礁の美しさ!
人懐こいトロピカルフィッシュと戯れていると、時間の経つのも忘れ、「シュノーケリング」1日中海の中.
正確には「背中を太陽に向け、プカプカ」していたと言うのが、正確ですが・・・。
結果、私の背中は「日焼け」を通りこして大変な状態に。最終日は、水風呂で一晩過ごすはめに。
水の中では太陽は気になりませんが、日焼け注意!

海面を漂う私。見苦しい写真でスミマセン。
水中はトロピカルフィッシュの宝庫!お見せ出来ないのが残念です。

Aさんの英語力で「オーシャンビュー」の部屋に変われました。
kitchenplazaホームページ
お客様のご希望にあわせ、扱いメーカー全てに対応OKとの話し。
当時「キッチンデザイナー」という職種は新しく、即戦力になる人材確保が厳しい時代でした。出向してきた方は、他のメンバーとも打ち解け、お手本ともなり素晴らしいチームとなりました。
結果的に「SieMatic」の認知度もあがり、扱い量も増加。
すると、他社も負けじと同じ提案をされました。
今思うと、Aさんは「相手が何を望んでいるのか」分かることが出来る、「営業」だったのですネ。
エピソード2.
Aさんと、個人的にお付合いが増してゆきましたが、彼は私に無い物を気付かせてくれました。
私は、当時海外旅行の経験なし。彼は仕事柄ドイツ他経験豊富。
「グァム島」へ行きましょうという話しがまとまり、ご一緒しました。
初めての海外旅行では「近場」でビギナー向け。「アメリカらしさも味わえる」という勧めでの選択でした。
グァムの飛行場に降り立ち、一歩外に出ると、日本とはまったく異なる「外国」
(当たり前の事ですが)南国ムード溢れる異国。見たこともない青空、エメラルドの海、アメリカらしさを感じる町並み。今でも鮮明に思いだされます。

ホテルに到着し部屋に着くと、オーシャンビューどころか、反対側の、ゴミ処理場の上の部屋でした。

翌朝、レストランで朝食。ビュッフェスタイルに戸惑いAさんのエスコートで何とか・・・。
その後、Aさんは「ちょっと待っててネ」と言い、フロントへ、何か話していました。
当時の私は英会話がダメで、何を話しているのか皆目わからず。
その日夕刻ホテルに戻ると、何と!オーシャンビューの上階へ、部屋が移されていました。
「自分の大変重要なVIPを招待したのに、あんな部屋では仕事キャンセルされてしまう。何とかしてくれ。」とクレームつけたそうです。
私はVIPでもありませんが、Aさんの気転と英語力に感心もし、同じ学校を出ながら何も話せない、自分に気付かされました。
エピソード3.
海岸近くの「黒いナマコ」群を過ぎると、沖のサンゴ礁の美しさ!
人懐こいトロピカルフィッシュと戯れていると、時間の経つのも忘れ、「シュノーケリング」1日中海の中.
正確には「背中を太陽に向け、プカプカ」していたと言うのが、正確ですが・・・。
結果、私の背中は「日焼け」を通りこして大変な状態に。最終日は、水風呂で一晩過ごすはめに。
水の中では太陽は気になりませんが、日焼け注意!

海面を漂う私。見苦しい写真でスミマセン。
水中はトロピカルフィッシュの宝庫!お見せ出来ないのが残念です。

Aさんの英語力で「オーシャンビュー」の部屋に変われました。
kitchenplazaホームページ
三井ホーム(SieMaticとの取引開始・続)
三井ホームの中で「SieMatic」キッチンの扱量が急速に伸びたのは、昭和50年代終わり頃です。当時、ブランドの中で圧倒的に多かったのは「キッチンハウス」でしたが、その他
岡村製作所、モーリコーポレーション(クッチーナ)、ライヒ、ポーゲンポール、他国産メーカーです。

岡村製作所 1986(昭和61年) 雑誌より

モーリコーポレーション 同上

TOTO 同上
NO.13にて記しました、東洋化成のA係長(後のS&HJAPAN 専務取締役)が、その後の私の「システムキッチン・ライフ」に多大な影響を与えた方です。この方の事を語らずには私の「Story of my kitchen work」を語ることは出来ません。
もし、お会いしてなければ今日迄の「Kitchen business life」は無かったかも知れません。
Aさんは営業として、1番必要な条件「相手が何を求めているのか、何に困っているか知る事」を持っている方でした。当時私が三井ホームのキッチン事業の中で必要としていた、輸入キッチンでありながら、「リーズナブルプライス、高品質キッチン」の必要性に、SieMaticの第2ブランド・Eurofitを提案してくれました。
勿論富裕層向けにはSieMatic.。各地のモデルハウスに次々に展示されました。
何故かA係長とは、気が合う、俗にいう「ウマが合う」と言うのか、惹かれる物を感じました。ある時、近くのファミレスでお茶を飲み雑談。彼も早大出身、前職は日立。私が東芝で「お互い安サラリーマン・・・」と愚痴をこぼしあったものです。
エピソード1.
彼はスケッチ・漫画絵を描くのがプロ並み。
私が「キッチンのマニュアル」に取組んでいたいましたが、私の書いた原稿を見てもらった時、「これに図解出来たら・・・」と何気なく話しました。すると翌日素晴らしい「図解マニュアル」を持参してくれました。恐らく徹夜されたんでしょう。最初にお会いした時の仕事の速さにも驚かされましたが、この時も嬉しい驚きでした。三井ホームの立派な本のような「マニュアル」には敵いませんが、納得ゆく物になりました。
後に三井ホームの「インテリアコーディネーター」がシステムキッチンを扱うこととなり、レクチャーすることとなりますが、「図解マニュアル」が有効な教材となりました。
kitchenplazホームページ
岡村製作所、モーリコーポレーション(クッチーナ)、ライヒ、ポーゲンポール、他国産メーカーです。

岡村製作所 1986(昭和61年) 雑誌より

モーリコーポレーション 同上

TOTO 同上
NO.13にて記しました、東洋化成のA係長(後のS&HJAPAN 専務取締役)が、その後の私の「システムキッチン・ライフ」に多大な影響を与えた方です。この方の事を語らずには私の「Story of my kitchen work」を語ることは出来ません。
もし、お会いしてなければ今日迄の「Kitchen business life」は無かったかも知れません。
Aさんは営業として、1番必要な条件「相手が何を求めているのか、何に困っているか知る事」を持っている方でした。当時私が三井ホームのキッチン事業の中で必要としていた、輸入キッチンでありながら、「リーズナブルプライス、高品質キッチン」の必要性に、SieMaticの第2ブランド・Eurofitを提案してくれました。
勿論富裕層向けにはSieMatic.。各地のモデルハウスに次々に展示されました。
何故かA係長とは、気が合う、俗にいう「ウマが合う」と言うのか、惹かれる物を感じました。ある時、近くのファミレスでお茶を飲み雑談。彼も早大出身、前職は日立。私が東芝で「お互い安サラリーマン・・・」と愚痴をこぼしあったものです。
エピソード1.
彼はスケッチ・漫画絵を描くのがプロ並み。
私が「キッチンのマニュアル」に取組んでいたいましたが、私の書いた原稿を見てもらった時、「これに図解出来たら・・・」と何気なく話しました。すると翌日素晴らしい「図解マニュアル」を持参してくれました。恐らく徹夜されたんでしょう。最初にお会いした時の仕事の速さにも驚かされましたが、この時も嬉しい驚きでした。三井ホームの立派な本のような「マニュアル」には敵いませんが、納得ゆく物になりました。
後に三井ホームの「インテリアコーディネーター」がシステムキッチンを扱うこととなり、レクチャーすることとなりますが、「図解マニュアル」が有効な教材となりました。
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ショールームのテラコッタタイル・シクラメンとハイビスカス

ショールーム テラコッタ・タイルの床に咲く、冬の花「シクラメン」と夏の花「ハイビスカス」の競演(?)
ハイビスカスは3年目。けなげですね・・・・。
テラコッタタイルは「サンワカンパニー」格安品。価格は¥980-1m2.目地の汚れが心配でしたが問題ありません。納得の1品!
キッチン・リビング・廊下・洗面・トイレと使用しましたが、掃除が楽です。
床にガラスコップ・陶器等落とすと、粉々になります。
高価なものはご用心。
冬でも冷たく感じません。(床暖ケチった負け惜しみ・・・・。)
お日様の威力は凄いですね!陽の当たるところは良いのですが、トイレはいただけません。
トイレマットでしのいでいます。
kitchenplazaホームページ
三井ホームでシステムキッチン事業の構築・SieMatic
エピソード5.
三井ホームで一番驚き、感心したのは 「マニュアル」でした。
お客様の来訪から、プランニング、契約、着工、工事、引渡し、までの一連の作業を全てマニュアル化し、営業・設計・工事・インテリアコーディネーター・との業務分担・責任区分を明確にするというものです。
お客様との打合せが終わると、打合せ記録を読み上げ、出席者全員で確認、サインをし記録として残されます。
ポイント毎に、関係者間での会議(2者会談・3者会談等)をもち確実に引継ぎ、お客様との打合せ事項を確認をする、というものです。
「マニュアル」は分厚い1冊の本になっており、「すごい!」の一言です。
お客様にしてみれば「窓口は一人、全て同じ人に対応してもらいたい。」と望むのが普通かと思います。しかし、会社としては「効率」を考えなければなりません。大手企業の必要条件でしょう。
私は、ある意味「ベルトコンベアー」に乗せて「マニュアル」通り進めていく、機械的な仕事は好きではありません。お客様に向けた「優しさ」「ふれあい」というものが不可欠と思います。お客様へのサービスと言うよりも、効率の要素が多く感じられます。
エピソード6.
標準メーカーを選定している時に、SieMatic の訪問を受けました。「毎月00セット発注していただけたら、見積出させて頂きます。」との事。既にPoggenpohl・LEICHTのドイツキッチンを選定済みでしたから、「検討致します。」とお引取頂きました。内心「随分高飛車だ」と心中穏やかではありませんでした。
数日後またSiematicの訪問を受けました。「今度は、はっきり言ってやろう。」と席に着くと先日の人とは別人。東洋化成のA係長(当時)でした。
事情が分からず面くらっていると、「東洋化成」が輸入元・先日来訪したのは販売元の「モビリア」。販売元が心もとないので、輸入元が直接対応させて頂くとのことでした。
「取引条件を提示して欲しい」旨伝え、別れました。

1986(昭和61年)雑誌掲載より・個人的には、この頃の雰囲気は好みでした。
すると1時間後またA係長の訪問を受けましたが、手には「見積書」があり、仕事の速さに感心致しました。
これから東洋化成「SieMatic」とのお付き合いがスタート致します。
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三井ホームで一番驚き、感心したのは 「マニュアル」でした。
お客様の来訪から、プランニング、契約、着工、工事、引渡し、までの一連の作業を全てマニュアル化し、営業・設計・工事・インテリアコーディネーター・との業務分担・責任区分を明確にするというものです。
お客様との打合せが終わると、打合せ記録を読み上げ、出席者全員で確認、サインをし記録として残されます。
ポイント毎に、関係者間での会議(2者会談・3者会談等)をもち確実に引継ぎ、お客様との打合せ事項を確認をする、というものです。
「マニュアル」は分厚い1冊の本になっており、「すごい!」の一言です。
お客様にしてみれば「窓口は一人、全て同じ人に対応してもらいたい。」と望むのが普通かと思います。しかし、会社としては「効率」を考えなければなりません。大手企業の必要条件でしょう。
私は、ある意味「ベルトコンベアー」に乗せて「マニュアル」通り進めていく、機械的な仕事は好きではありません。お客様に向けた「優しさ」「ふれあい」というものが不可欠と思います。お客様へのサービスと言うよりも、効率の要素が多く感じられます。
エピソード6.
標準メーカーを選定している時に、SieMatic の訪問を受けました。「毎月00セット発注していただけたら、見積出させて頂きます。」との事。既にPoggenpohl・LEICHTのドイツキッチンを選定済みでしたから、「検討致します。」とお引取頂きました。内心「随分高飛車だ」と心中穏やかではありませんでした。
数日後またSiematicの訪問を受けました。「今度は、はっきり言ってやろう。」と席に着くと先日の人とは別人。東洋化成のA係長(当時)でした。
事情が分からず面くらっていると、「東洋化成」が輸入元・先日来訪したのは販売元の「モビリア」。販売元が心もとないので、輸入元が直接対応させて頂くとのことでした。
「取引条件を提示して欲しい」旨伝え、別れました。

1986(昭和61年)雑誌掲載より・個人的には、この頃の雰囲気は好みでした。
すると1時間後またA係長の訪問を受けましたが、手には「見積書」があり、仕事の速さに感心致しました。
これから東洋化成「SieMatic」とのお付き合いがスタート致します。
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