その後のキッチンハウス

No.4 -5にキッチンハウスのスタート時点のことにふれました。
KH社の前身は、関東ユーデルという会社です。
S社長が,Mデパート外商にいらした頃、海外で「セントラルヒーティング」を知り、日本で扱われたそうです。社名の「ユーデル」は「湯出る」をもじったそうです。

富裕層をターゲットにした商品で、好評だったそうです。
その延長線上にあるものが「輸入システムキッチン」です。

当初、世田谷にショールームをオープンされましたが、社長の奥様が担当されて、1Fに「キッチン関連の小物」を扱われました。

商品は女性、奥様が欲しくなる、素敵なアイテム(台所用品、アクセサリー類)でした。
当時、私がお会いしたお客様の中にも、マニアのような方がいらっしゃいました。

現在の「fran2フランフラン」の高級版という感じでしょうか。
私も、影響され「東芝システムキッチンshop」を開設した時に、小物を販売致しました。
KHのフランチャイズに加盟するには、多額の「加盟金」が必要で、扱いを断念致しました。

KH社スタート時に、S社長がヘットハンティングされた、I専務(当時)が、小物の扱いの難しさ、「在庫管理」が大変と、嘆いていらっしゃいました。

I専務さんは、私と同世代で大手商社出身。
上野毛の本社(当時は本社兼倉庫)にお邪魔した時、お互い3K(3苦)の代表のようなキッチン業界を嘆いたものです。
しかし、I専務はKH社を業界の「リーダーカンパニー」にする、という熱い思いを語られていました。

文字通りS社長を支え、30年以上働かれ、今日のKH社を築きあげた訳です。
No 7にて、ライヒキッチンの事にふれましたが、扱い会社のX事業部長,no,2のG氏の退職後、扱いが消えました。

「企業は人なり」との喩えのように、キッチン業界では「人材」の重要性を、痛感します。

ドイツ・アルノキッチンの輸入から始まり、藤岡工場稼働、フランチャイズ店のスタート(高級外車販売会社)と進められましたが、その後「直営店」に方向転換されました。

数年前に、S社長は退かれ、現在は㈱TJMデザインという会社の「キッチンハウス事業部」という扱いになっております。

khsr.jpg

キッチンハウスURLより

エピソード1

Yさんという、ユニークな社員がいらっしゃいました。

S社長談
ある日ショールームで、お客様に一生懸命説明している見かけぬ社員がいたそうです。
「KHも大きくなったもんだ。社員の顔を覚えられなくなった。」と思われたそうです。

しかし、当日何人かの入社面接があり、その中に「見かけぬ社員」がいたそうです。
その根性に惚れ、S社長「即決」したそうです。

見かけぬ社員 「Yさん」も、長年KH社で働かれ、KH社を支えたお一人です。



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三井ホームのインテリアコーディネーター(続)

三井ホームのIC(インテリアコーディネーター)にとって、ステータスは「モデルハウス」を担当する事。
○○ICが○○モデルを担当し、お客様の反響は・・・と、大変熾烈な「女の闘い」の場でもありました。

三井ホームモデル

三井ホームURLより・草加モデル

どのICに依頼するかは、営業所の所長の裁量によりました。
ある所長に「大勢の女性に囲まれてハーレムみたい。」と話したことがありますが、「女性は自分の嫁さん1人で十分。気疲れしてかないません。」とこぼしていました。

ベテラン,若手ICを「束ねる」大変さをこぼしていました。

エピソード1.

竣工間近のモデルハウスの現場に行った時、子供の泣き声がきこえました。
お客様?と思いましたが、子供さんを背負った女性が、なにやら飾りつけをしています。
顔を見ると、○IC.
化粧気もなく普段の○ICとは別人の様(失礼・・・)

「どうされたのですか?」と尋ねると、「いつもは母が子供を見てくれているのですが、 
今日は都合悪く、見てもらえず。仕方なく私が負ぶって仕事」との事。
見かねて私が、即席の託児所になりました。
子育ての中、仕事を必死にされている姿に、○ICのプロ根性を感じました。
こういうICの先輩方が、今日の「インテリアコーディネーター」の基礎を作られたのでしょう。
三井グループ初の女性役員となられたIC 村上 英子先生も、働く女性として 
子育てと仕事の両立に苦労されたと、語られております。

エピソード2.

同じく、竣工間近のモデルハウスでの事。
玄関から入ると、何やら「女性の鳴き声」が・・・
ただ事ではないと、ドアを開けると ○Iの姿が眼に飛び込んで着ました。

私の顔を見るや、「上野さん・・。誰も私の言う事聞いてくれないの・・・」
と一際泣き声が大きくなり、お化粧もグチャグチャの顔に、ひとしきり大粒の涙。

どうやら竣工時期が間近に迫る中、
ICの意図したものと違う内容になってしまっている事が,出て来たのですが,
「度重なる変更」に現場の職人さんが「もうやってられねーー。」
となってしまったようです。

「とにかくオープンめざしてやるしかない!」と話しあい、○ICも落ち着きを取り戻し、
職人さん方も納得され、工事再開。

現場を出る時に、送ってくれた、○ICの顔は「女性」から「プロのIC」の顔に戻っていました。
恐らく○ICにとり、思い出のモデルハウスになった事でしょう。

それにつけても、前述の所長の苦労が垣間見えました。




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Activity in GUAM

guam子供

何故か、現地の子供に慕われました。私は「子供英会話教室」の生徒。

なまこ

大きな「ナマコ」 誤って足で踏むと「キュー」と鳴きます。
手前はサンゴ。
海中で、太陽の光があたるとまさに「宝石」

jeep1.jpg

元日本兵「横井庄一さん」の住まい。YOKOI CAVE を探してジャングルを走破。
残念ながら、住まい(穴)は既に埋められておりました。

jeeo2.jpg

ジャングルから脱出!
しかし道路との間に大きな側溝が待ち受けていました。
決死のダイビング!
通りかかった米軍の人達の見守る中、Jeepは大きくジャンプしながら着地。
大きな「拍手」が沸き起こりました。

4泊5日のグァム旅行も無事終了。
「海外旅行」の楽しさに、目覚めさせて頂いた「遊びの達人Aさん」です。

この後、家族を連れてグァムを再訪したのを皮切りに、サイパン、シンガポール(2)
香港、ソウル(2) アメリカ西海岸(3)ケアンズ、とすっかり「海外旅行」の
魅力に、とりつかれてしまいました。

この事が、その後の私の「Kitchen business life」に
大きな影響を及ぼす事となります。


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  三井ホームのインテリアコーディネーター

三井ホームのインテリアコーディネーター(略称IC)は、業界の先駆けとして、住宅建設には「女性禁止」という、古いしきたりの残る中スタートさせた、画期的なものであり、現在当たり前になったIC の先駆けと言えるでしょう。他社も後を追い、現在は大手、中小、規模を問わずIC を採用されているのは当たり前になっています。

現在、社団法人インテリア産業協会(設立昭和58年)において、認定資格制度として、
IC を目指す方の、最初の登竜門として、広く知られる事となっています。

IC の業務は、華やかで綺麗な仕事のように見られますが、実際は「ハードで厳しい」仕事です。報酬面でも決して恵まれているとはいえず、ほんの一握りの方が、それなりの報酬を得ている、と言うのが実情です。

千葉工業大の「小原 二郎先生」(最初の新幹線の椅子をデザインされた方、日本のインテリア業界の育ての親)が「士農工商・インテリア」と言う話しをされました。
IC は、江戸時代の階級制度のさらに下部階級にある厳しい仕事、と言う意味だそうですが、言いえて妙だと思います。

三井ホーム 岡田社長(当時)は、私に「士農工商、インテリア、犬、猫、キッチン」と言われました。
この言葉も、言いえて妙と、思わず感心しました。

本家アメリカでは、IC の報酬は日本とは桁外れ、という話しを聞きました。弁護士報酬と同じように、「仕事に対するFeeとして確立されている」そうです。

有名IC は顧客からの依頼に、何日か一緒に生活し、顧客の「生活様式、考え方、希望」をつかみ、完璧に応えるそうです。お客様は「自分の1番快適な暮らし」を手に入れることが出来、納得されてFeeを支払う、金額は日本では想像出来ない高報酬だそうです。

ちなみに、三井ホーム(当時)では、IC が1件お客様にアテンドすると、基本Feeとして○万円、インテリア商品(カーテン・照明等標準外商品)を扱うと別途Feeを頂ける、という仕組みでした。

私が三井ホームにお世話になった時は、IC はシステムキッチンを扱うことが出来ませんでした。それなりの専門知識.・経験が求められたからです。
扱い量拡大とIC からの要望もあり、IC がシステムキッチンを扱うための、社内資格試験を行う事となりました。

全国の三井ホームの支店をまわり、レクチャーさせて頂きましたが、ベテランIC の前では
さすがに緊張し、「上野さん、何緊張してるのよ!」と激を飛ばされました。
このとき、教材として使用したのが SieMatic の Aさんに応援してもらった「マニュアル」です。

IC.jpg

三井ホームで最初の「女性役員」となられた、村上 英子先生
IC の先駆けとして、今日まで活躍されています。
2年程前にお会いする機会がありましたが、上品に年齢を重ねられていらっしゃいました。

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初めての「GUN SHOOTINNG]

gunaraki.jpg


和製「ランボー」 Aさん。
腕前はさすが。この後大口径「マグナム」に挑戦しました。
インストラクターの「OK」が出ないと、口径の大きなものを使用することが出来ません

ueno gun gun点数  標的のペーパー・白○が弾が当たった個所



必死の形相!
手に伝わる衝撃は,小口径(22)にも係わらず相当なもの。
スクリーンの中のように,片手などではとても扱えません。


私の隣に、日本の若いカップルが並んで、射撃しておりましたが
突然女性が「私、怖-い!」と言って、持っていた「GUN」を目の前の台に
放り投げました。

銃口はまさに私の方を向いて!
思わず凍りつきました。(銃には、弾が残ったまま。)

インストラクターが飛んできて、叱りつけました。
しかし英語の為、意味は分からず、剣幕に押されて、二人で
すごすごと出て行きました。
ハネムーンの苦い思い出となった事でしょう。

gun女性

マグナムに挑戦・大音響のため耳あてを使用。
すさまじい衝撃音!
後方に若い女性が見えます。


普段「銃」など縁の無い「日本」
無理ないこととは思いますが、軽い気持ちで「銃」
を扱う「危険性」を思いました。




「初めての水上スキー」

suki-araki.jpg


さっそうと「片手で」滑走する、Aさんの勇姿。

Aさんの話「簡単! 簡単!」

つられて、私も初チャレンジ!

「やらなきゃ良かった・・・・」 グァムの海水をたっぷり味わいました。

水上すきー1


スタンバイOK!


スキー2   何とか立ちました。


スキー3   次の瞬間・・・・


スキー4 思い切り海面に叩きつけられました!
            

  三井ホーム(SieMaticとの取引開始) グアム観光

三井ホームの中で、仕事量が増加し「キッチンデザイナー」の絶対数が不足しており、連日残業続き。何とかしなければと、思い悩んでいる時に、A係長より、「会社からNO.1 キッチンデザイナーを出向させます。業務の内容はお任せします。」という、ありがたい提案。

お客様のご希望にあわせ、扱いメーカー全てに対応OKとの話し。
当時「キッチンデザイナー」という職種は新しく、即戦力になる人材確保が厳しい時代でした。出向してきた方は、他のメンバーとも打ち解け、お手本ともなり素晴らしいチームとなりました。

結果的に「SieMatic」の認知度もあがり、扱い量も増加。
すると、他社も負けじと同じ提案をされました。
今思うと、Aさんは「相手が何を望んでいるのか」分かることが出来る、「営業」だったのですネ。

エピソード2.

Aさんと、個人的にお付合いが増してゆきましたが、彼は私に無い物を気付かせてくれました。
私は、当時海外旅行の経験なし。彼は仕事柄ドイツ他経験豊富。


「グァム島」へ行きましょうという話しがまとまり、ご一緒しました。
初めての海外旅行では「近場」でビギナー向け。「アメリカらしさも味わえる」という勧めでの選択でした。

グァムの飛行場に降り立ち、一歩外に出ると、日本とはまったく異なる「外国」
(当たり前の事ですが)南国ムード溢れる異国。見たこともない青空、エメラルドの海、アメリカらしさを感じる町並み。今でも鮮明に思いだされます。

guam hotel

ホテルに到着し部屋に着くと、オーシャンビューどころか、反対側の、ゴミ処理場の上の部屋でした。

guam 海岸

翌朝、レストランで朝食。ビュッフェスタイルに戸惑いAさんのエスコートで何とか・・・。
その後、Aさんは「ちょっと待っててネ」と言い、フロントへ、何か話していました。
当時の私は英会話がダメで、何を話しているのか皆目わからず。

その日夕刻ホテルに戻ると、何と!オーシャンビューの上階へ、部屋が移されていました。
「自分の大変重要なVIPを招待したのに、あんな部屋では仕事キャンセルされてしまう。何とかしてくれ。」とクレームつけたそうです。

私はVIPでもありませんが、Aさんの気転と英語力に感心もし、同じ学校を出ながら何も話せない、自分に気付かされました。

エピソード3.

海岸近くの「黒いナマコ」群を過ぎると、沖のサンゴ礁の美しさ!
人懐こいトロピカルフィッシュと戯れていると、時間の経つのも忘れ、「シュノーケリング」1日中海の中.
正確には「背中を太陽に向け、プカプカ」していたと言うのが、正確ですが・・・。

結果、私の背中は「日焼け」を通りこして大変な状態に。最終日は、水風呂で一晩過ごすはめに。

水の中では太陽は気になりませんが、日焼け注意!

水中メガネ

海面を漂う私。見苦しい写真でスミマセン。
水中はトロピカルフィッシュの宝庫!お見せ出来ないのが残念です。

guamk景色ホテルから

Aさんの英語力で「オーシャンビュー」の部屋に変われました。





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三井ホーム(SieMaticとの取引開始・続)

三井ホームの中で「SieMatic」キッチンの扱量が急速に伸びたのは、昭和50年代終わり頃です。当時、ブランドの中で圧倒的に多かったのは「キッチンハウス」でしたが、その他
岡村製作所、モーリコーポレーション(クッチーナ)、ライヒ、ポーゲンポール、他国産メーカーです。

おかむら

岡村製作所 1986(昭和61年) 雑誌より

モーリ

モーリコーポレーション 同上

東陶


TOTO 同上


NO.13にて記しました、東洋化成のA係長(後のS&HJAPAN 専務取締役)が、その後の私の「システムキッチン・ライフ」に多大な影響を与えた方です。この方の事を語らずには私の「Story of my kitchen work」を語ることは出来ません。
もし、お会いしてなければ今日迄の「Kitchen business life」は無かったかも知れません。

Aさんは営業として、1番必要な条件「相手が何を求めているのか、何に困っているか知る事」を持っている方でした。当時私が三井ホームのキッチン事業の中で必要としていた、輸入キッチンでありながら、「リーズナブルプライス、高品質キッチン」の必要性に、SieMaticの第2ブランド・Eurofitを提案してくれました。
勿論富裕層向けにはSieMatic.。各地のモデルハウスに次々に展示されました。

何故かA係長とは、気が合う、俗にいう「ウマが合う」と言うのか、惹かれる物を感じました。ある時、近くのファミレスでお茶を飲み雑談。彼も早大出身、前職は日立。私が東芝で「お互い安サラリーマン・・・」と愚痴をこぼしあったものです。

エピソード1.

彼はスケッチ・漫画絵を描くのがプロ並み。
私が「キッチンのマニュアル」に取組んでいたいましたが、私の書いた原稿を見てもらった時、「これに図解出来たら・・・」と何気なく話しました。すると翌日素晴らしい「図解マニュアル」を持参してくれました。恐らく徹夜されたんでしょう。最初にお会いした時の仕事の速さにも驚かされましたが、この時も嬉しい驚きでした。三井ホームの立派な本のような「マニュアル」には敵いませんが、納得ゆく物になりました。

後に三井ホームの「インテリアコーディネーター」がシステムキッチンを扱うこととなり、レクチャーすることとなりますが、「図解マニュアル」が有効な教材となりました。

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ショールームのテラコッタタイル・シクラメンとハイビスカス

テラコッタ


ショールーム テラコッタ・タイルの床に咲く、冬の花「シクラメン」と夏の花「ハイビスカス」の競演(?)
ハイビスカスは3年目。けなげですね・・・・。

テラコッタタイルは「サンワカンパニー」格安品。価格は¥980-1m2.目地の汚れが心配でしたが問題ありません。納得の1品!

キッチン・リビング・廊下・洗面・トイレと使用しましたが、掃除が楽です。
床にガラスコップ・陶器等落とすと、粉々になります。
高価なものはご用心。

冬でも冷たく感じません。(床暖ケチった負け惜しみ・・・・。)
お日様の威力は凄いですね!陽の当たるところは良いのですが、トイレはいただけません。
トイレマットでしのいでいます。





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三井ホームでシステムキッチン事業の構築・SieMatic

エピソード5.

三井ホームで一番驚き、感心したのは 「マニュアル」でした。
お客様の来訪から、プランニング、契約、着工、工事、引渡し、までの一連の作業を全てマニュアル化し、営業・設計・工事・インテリアコーディネーター・との業務分担・責任区分を明確にするというものです。

お客様との打合せが終わると、打合せ記録を読み上げ、出席者全員で確認、サインをし記録として残されます。

ポイント毎に、関係者間での会議(2者会談・3者会談等)をもち確実に引継ぎ、お客様との打合せ事項を確認をする、というものです。

「マニュアル」は分厚い1冊の本になっており、「すごい!」の一言です。

お客様にしてみれば「窓口は一人、全て同じ人に対応してもらいたい。」と望むのが普通かと思います。しかし、会社としては「効率」を考えなければなりません。大手企業の必要条件でしょう。

私は、ある意味「ベルトコンベアー」に乗せて「マニュアル」通り進めていく、機械的な仕事は好きではありません。お客様に向けた「優しさ」「ふれあい」というものが不可欠と思います。お客様へのサービスと言うよりも、効率の要素が多く感じられます。

エピソード6.

標準メーカーを選定している時に、SieMatic の訪問を受けました。「毎月00セット発注していただけたら、見積出させて頂きます。」との事。既にPoggenpohl・LEICHTのドイツキッチンを選定済みでしたから、「検討致します。」とお引取頂きました。内心「随分高飛車だ」と心中穏やかではありませんでした。

数日後またSiematicの訪問を受けました。「今度は、はっきり言ってやろう。」と席に着くと先日の人とは別人。東洋化成のA係長(当時)でした。

事情が分からず面くらっていると、「東洋化成」が輸入元・先日来訪したのは販売元の「モビリア」。販売元が心もとないので、輸入元が直接対応させて頂くとのことでした。
「取引条件を提示して欲しい」旨伝え、別れました。

sie.jpg


1986(昭和61年)雑誌掲載より・個人的には、この頃の雰囲気は好みでした。

すると1時間後またA係長の訪問を受けましたが、手には「見積書」があり、仕事の速さに感心致しました。

これから東洋化成「SieMatic」とのお付き合いがスタート致します。
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プロフィール

kitchenplaza

Author:kitchenplaza
早稲田大学経済学部卒業/30数年前に東芝にてシステムキッチン業務を開始(企画開発業務)/三井ホームにてキッチン事業構築、輸入キッチン(ポーゲンポール・ジーマティック)等経験後独立

数多くの輸入・国産キッチンの開発販売にたずさわり『日本のキッチンは高すぎる! 』の信念にもとずき「リーズナプルプライス・高品質キッチン」 の提供をライフワークとして取組んでおります。

事業開始後2016年1月現在300件を超えるお客様にキッチン・家具をお届けしてまいりました。

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