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 六甲アイランド輸入住宅展示場(H7年)でキッチン工事

阪神震災後、災害復興事業の一環として、六甲アイランドに「輸入住宅展示場」が作られることとなり、モデルハウスにキッチン(HAUZE ハウゼ)を施工致しました。

震災後1年位経っておりましたが、神戸市内に残る「地震の爪跡」は、ショッキングな物でした。新聞等で見た、高速道路はいまだ国道に横たわり、残されたスペースを車1台ようやく通れる状態。
あちこちに倒れかけた建物にブルーシートが掛けられ、中には倒れかけた家屋がお互いぶつかり合い、かろうじて倒壊を免れている状態。
実際目の当りにすると、写真、映像では感じられない恐ろしさを痛感いたします。

有名な六甲ポートアイランド地区では、建物被害は外部からは見えませんが
道路は「液状化現象」でメチャクチャ。ブロック・石畳が盛り上がり、ずれており歩行困難な状態。

観光地として有名な「偉人街」もあちこち破壊され補修中。

エピソード1.

偉人街の喫茶店マスターに、震災体験のお話を伺いました。
住まいは倒壊。お店はかろうじて残った。直後は「情報」が皆無。
一番困ったのは飲み水。目の前の自動販売機内に有る物も停電でダメ。
壊すにも工具が無い・・・
直後の住民の「デマ」○地区で大火災・○地区で暴動等
「携帯ラジオが一番」と話されていました。

エピソード2.

芦屋の英会話スクール(NOVA 当時)を見つけ入りました。
フリー会話が、予約無しで利用出来るクーポン券があり全国どこでも利用可という便利なものでした。
先生から震災時の話を聞きました。
映画「タワーイングインフェルノ」と同じ。ビル最上階のスポーツジムのプールが破壊
され、大量の水がビル内を滝のように駆け下り浸水。
私が訪問した時には痕跡は残っていませんでした。

エピソード3

モデルハウスでキッチン施工打合せしましたが、監督さんは年配の親方。
しかし大工さんは全員カナダ人。監督さんは英語がダメで、指示はジェスチャー
筆談(絵)とのこと。
彼らは「勤勉で腕も良いカーペンター」「背が高いので脚立なしでもOK」「仕事も速い」
全員監督さん宅に寝泊りしているそうです。

他のモデルハウスでも、それぞれの国のカーペンターが活躍。
展示場内は様々な言葉が飛び交い、国際色豊かでした。

モデルハウス内で、カナダの大工さんと打合せしましたが、私の「NOVA英語」が
役に立ちました。
英語で現場打合せしたのは初めての経験です



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 震災について思う事

東日本大震災が発生してから2週間。
被災地からの情報も入り始め、復興に向けた動きも少しは見え始めたと思いきや、
今度は放射能、道程は厳しく思われます

16年前の「阪神淡路大震災」の事を思い出しました。
早朝マンションがギシギシ音を出し揺れました。直前愛猫ミーが突然起き周りをクルクル
周りはじめた直後のことです。
すぐTVのスイッチを入れると「神戸で地震. 被害は軽微な模様」と報道。
普段通り出社、昼食に入ったお店のTVからは、神戸の悲惨な状況が報じられていました。
火災、建物の倒壊・・・・息をのみました。

阪神大震災(1995・1・17 平成7 マグニチュード7.3)の丁度1年前、アメリカ
ロスアンジェルス地震(1994・1・17 平成6 マグニチュード6.7)が起きました。

ロス地震

ロス地震 倒壊・高速道路

両震災は、日にちまで一緒とは驚きですが、ロスアンジェルスの高速道路が
あちこちで倒壊している映像を私たちは眼にしました。

阪神地震

阪神震災

当時、「日本の高速道路は安全、絶対倒壊しない」と報道されていました。
専門家の方々がマスコミに登場し「高層建築も大丈夫」と言われておりました。

しかし阪神大震災時には、見るも無残に高速道路は倒壊。
大型バスが、倒壊した高速道路の端から落ちそうになりながら、
かろうじて止まっている写真を覚えている方もいらっしゃると思います。

大手建設会社が建てた高層ビルが、倒壊は免れたが、柱が破損するという信じられない光景も覚えています。
手抜き工事が疑われた事例でした。
ロス地震の時に「太鼓判」を押した「専門家」の方のコメントは完全に覆りました。

関西圏でも大型プロジェクトでSieMatic システムキッチンの工事進行中でした。

JR芦屋駅前のマンションは、建物が真中から折れるような形で報道されました。
これほどの建築被害だとしたら、工事中のキッチンはダメだろうと半ばあきらめておりましした。

工事責任者とも連絡できずにいましたが、数週間後、責任者から℡が入りました。
住まいは倒壊してしまったが(車で寝泊り)本人は「大丈夫。すぐに調べてくる」と頼もしい話。
その後「キッチンは問題なし」との連絡が入りました。

キッチン扉は閉まっており、いくつか引出が開いていた。
戸建住宅でも建物が倒壊してないものは問題なし。との報告。
吊戸棚内部の『壁面取付金具』を使用している、「ドイツキッチンは地震に強い」という証明になりました。
耐震ラッチの必要性を言われますが、吊戸棚の金具方式であれば、壁が倒れない限り問題ありません。

現在扱っているポーランド製キッチンも、今回の震災では被害ありませんでした。
手前ミソになりますが、眼に見えない所に「システムキッチンの必要ポイント」があるんだと納得しております。

20年位前に、30階超の高層マンションで、高級ドイツ・システムキッチン・SieMaticの工事に携わりました。
工事用リフトでの部材搬入・事務所での打合せの度に昇降しなければなりません。
リフトが使用できない時は外階段。
しかし、簡単な手摺りしかなく、下は丸見え!
「高所恐怖性」の私には耐え難いものでした。

現場所長さんに「高層マンションの耐震性」についてお聞きした事があります。
「今現在の法律・基準で建てている。それ以上の事が起きたら、何が起きるか誰にも分からない」と言われました。

今回の震災時に、当事者が言われた「想定外」という話を聞き、思い出しました。


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被災地のお客様(キッチン・ユーザー)

福島県のお客様
福島県双葉郡のお客様2世帯・工務店さんと連絡できません。
津波の被害報道(写真・ビデオ)によると壊滅的と報じられており、気が気でありません。
工事の時にお世話になった民宿も地区に入っており、安否がつかめません。
一方無事が確認された方もおり、元気なお声を聞けた時は嬉しい限りです。

yokoyama.jpg

千葉・浦安市にお住まいのK様
住宅は無事。キッチンも何事も無かったとの事ですが、報道されたように「液状化現象」で
道路が破壊され、下水道も破壊、トイレ、お風呂が使えずと大変な状況だそうです。
地震発生時ハワイからの帰路、飛行機だったそうですが、成田に降りられず、札幌へ。
2日足止めとの事。

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港区・六本木のD様
℡は留守録になっておりましたが、折り返し通知不能と表示された℡を受けました。
何とご家族で「香港」へ一時避難しているそうです。ご主人(アメリカ)の会社からの指示だそうです。
報道にも見られるように「外国人の海外避難」が私の傍で起きております。
住宅・キッチンに問題無しとの事。

danred.jpg

震災直後、ポーランドBiK社 マーガレットさんからメールが届きました。

マーガレットメール

ご家族はOKですか?大変な災害がおきたのですネ。
しかし私は「日本人はこのような状況で上手に災害復興される」と思います。
もしポーランドでこのような事が起これば、災害はもっと大きくなるでしょう。
原発も絶対大丈夫です。日本人は賢明ですから。
工事(キッチン)部材についても心配無用。もし問題が出ても私たちは助けますから。
(注:工事待ちの部材がお客様倉庫のあるため)
ご家族の安全と、余震が終わることを祈念します。

ポーランドでも連日報道されているそうです。

海外では、被災地で「略奪」も起きず、冷静に対応されている日本人が、
「賞賛のまなざし」で見られていると、報道されています。
被災されていない多くの日本人も、心して行きたいものです。

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 東日本大震災について

今回の東日本大震災で被災された方、亡くなられた方、今だに行方が分からない方
本当に何と申上げてよいのか、言葉が見つかりません。

私の住んでいる埼玉・新座市は何の被害も無く、家の周りには元気な子供たちの遊んでいる声、マクドナルドは家族連れ、と平穏な生活が見られます。
しかし、スーパーマーケットに行けば、お米、パン、牛乳、即席めん、トイレットペーパー等の棚が空、直後に行ったお店は「被災地」かと思いました。
ガソリンスタンドの給油を待つ車列が住宅街まで回りこみ、川越街道には一列の車列が何キロも繋がりました。

Gstand.jpg

何故このような事態になるのでしょうか?
買占め、焦りからの行動と、入荷不足が重なり事態を悪化させているのでしょう。
TVで「買いあせる主婦」「ガソリンタンクに残量が十分にありながら並んでいる方」を報道される度に,情けなくなります。

「物が溢れ,豊かになった日本」の生活を享受出来なくなる事を,我慢出来なくなってしまったのでしょうか。
ある評論家が「戦後焼け野原になった時は、日本人全員が貧乏だった。そこから復興を成し遂げたのは、皆がどん底だったから」と書かれていたが、本当にそう思います。

地震発生時、相模原市まで車で向かっていました。
突然のすごい揺れ。一瞬めまいかと思いましたが、回りの車も停車。
家の外へ飛び出す人と,大変なことになっておりました。

訪問先まで3kmの表示カーナビ。カーラジオからは地震速報「福島沖でマグニチュード
8.7,津波に注意」と流れてきました。
訪問先とも℡通じず、周囲も停電。当然信号機も機能せず、道路は大渋滞。わずか3kmを1時間かかりようやく目的地へ到着。途中の交差点では近所のスーパーの方が手信号で交通整理されていました。

用件をすまし帰路へ、普通ならば2時間程度の道は「凄まじい状況」になっており、10時間要しました。途中は停電地区が多く大渋滞。帰宅難民とはこのことでしょうか。
妻とも℡が繋がりにくくなり心配かけました。

当初埼玉も大停電と聞き心配でしたが、すぐ復旧したそうです。
暗黒の闇夜の中をノロノロと歩む車列、何とも言えない「恐怖感」を感じました。
途中見つけたコンビニも食料品は空。

帰路、埼玉に入り24H営業のファミレスを見つけ、入りましたら、何と深夜にもかかわらず、行列で席待ちの状態
あきらめました。

被害ゼロの地区でこれだけの事が起きるのですから、被災地の方は想像を絶する恐怖を感じられていらっしゃるのでしょう。

帰宅後TVを見て、改めて被害が甚大であることに驚きました。
ラジオは耳だけですから・・・・。

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Actus(ポーゲンポール)への転職

三井ホーム・インテリア部門での期間は、私のキッチン・ビジネス・ライフの中で多くの知識、経験の場となり、貴重な期間となりました。
独立後、ソーホー・ビジネスの典型とも言うべき「輸入キッチン」の会社を立ち上げましたが、入る情報量は限られます。
というより自分から能動的に動かなければ、情報は入ってきません。在職中はデスクに座っていても、周りから「情報」が入ってきます。
岡田社長、Y部長、同僚、メーカー、新聞社等数え切れない情報に「見舞われ」ます。
大手の有難さは、離れて初めて分かるものです。

インテリアコーディネーターへの、キッチン取扱開始に向けた業務も一段落した頃、私の
「ドイツ・キッチン」を扱ってみたい、という願望が起きてまいりました。
当時、ポーゲンポールの商権を得たActus(アクタス)が業界で話題となっていました。
何と、1000万プレーヤーが何人もいる、というものでした。

ならば挑戦するしかしかない、と応募致しました。
試験等なく、当時話題の「桐山社長」との面談のみ。
社内の雰囲気は東芝、三井とは大違い、社員は私服でサラリーマンの制服「スーツ」は一人もいません。さすがインテリアを扱う会社という雰囲気でした。

幾つかの質問の後、大きな鉛筆(小学生の時、遠足で買った鉛筆のような)でメモ紙に何やら書き込み、手渡されました。
「青山店次長、年俸00万」とだけ大きな字で記されていました。
「良ければ人事と話して下さい」と言われ席を立たれました。

人事の方とお話しましたが「驚かれましたでしょう。メモ書きがいわば採用通知、辞令ですから」と笑顔で言われました。

その後三井ホームでの退職申し入れ、入社するのも、退職するのも大変な事。
退職の前日、当時のT専務に呼ばれました。
「今夜予定開けておくように」と一言。
その夜、新宿三井ビル近くのホテルの「高級レストラン」に招待して頂き、ディナーをご馳走になりました。
「何処へ転職するのか?」「何故辞めるのか?」とか質問される事を想像し、気持が暗くなって、臨みましたが、何もおっしゃらずただ「ご苦労様と労をねぎらう」という会食でした。
小柄で笑顔が憎めない、ちょび髭がトレードマークのT専務さん、
今でもその夜のことを鮮明に思いだします。


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三井ホームでのエピソード

エピソード1 陶工柿右衛門 デザイン・キッチン(昭和50年代末)

例により岡田社長から℡
「サンウェーブが凄いキッチンを作った。すぐ見て来い。」との事。
早速、戸田工場へ。
新製品発表会を開催しており、「人間国宝 陶工柿右衛門」デザインによるキッチンという振れ込みでした。
一体どのようなキッチン? と期待しましたが、ドアノブ(取手)のデザインが柿右衛門さんによるもので、正直期待はずれ。
説明によると、数セット既にお客様より受注頂いているとの事。数百万ものキッチンが予約済みとは、まさに驚きでした。
見学時のノベルティとして頂いたものが、同じく柿右衛門さんデザインによる「風呂敷」でした。
その後、このキッチンが量産された話は聞きません。
もし現在使われている方がいらっしゃれば、お宝ものかも知れません。

エピソード2 黒田秀雄先生との出会い(同上)

当時の上司Y部長より
「今日夜、面白い方と会うから予定してくれ、場所は京王プラザホテル」
ホテルのディナーなんてラッキーと軽い気持ちでロビーへ。
お会いしたのが、「黒田秀雄キッチンシステム研究所」の黒田先生でした。
記憶が確かではありませんが、当日戴いた名刺には「日本システムキッチン研究所・所長」と記されていました。
(社)日本住宅設備システム協会の事が頭にありましたので、「所管の官庁はどちらですか?」とお聞きしました。
すると「私が決めた研究所です。」との回答。
何と凄い方だと当時関心しましたが、後に先生の活躍を眼にして、失礼な質問をしてしまったと、反省しております。
業界での啓蒙活動を広くされ、検索サイトALL About のキッチンを担当されております。

all about
黒田秀雄


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プロフィール

kitchenplaza

Author:kitchenplaza
早稲田大学経済学部卒業/40数年前に東芝にてシステムキッチン業務を開始(企画開発業務)/三井ホームにてキッチン事業構築、輸入キッチン(ポーゲンポール・ジーマティック)等経験後独立

数多くの輸入・国産キッチンの開発販売にたずさわり『日本のキッチンは高すぎる! 』の信念にもとずき「リーズナプルプライス・高品質キッチン」 の提供をライフワークとして取組んでおります。

事業開始後2020年1月現在350件を超えるお客様に
キッチン・家具をお届けしてまいりました。

最近は キッチン以外 時事 旅行 クッキング 日常等 脈絡なく記しています。

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