Family tree (lineage) 家系図

母親が他界した時に、
両親・祖父母・従兄の写真を
アルバムの中に見つけました。

「写真立て」に入れ
私の書斎家具に飾っております。

いわゆる「遺影」とは 違う「家族の記念写真」です。
セピア色に色あせて 時の流れを感じさせますが
私のお気に入りの一枚です

2014_0822_232646-IMG_20140822_0001 (3) 

先日、久しぶりに写真立てを掃除し
写真を取り出しました。

2014_0822_233058-IMG_20140822_0001 (5)

すると、今まで気付かなかったのですが
写真裏に、父の字でメモ書き発見 !
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昭和18 年11月15日(七五三のお祝い
盛行 5才の祝にて鎮守氷川神社へ参詣の候
写す

盛綱  64才(祖父--父方)
とめ   58才(祖母)
次郎  32才(父)
みえ子 26才(母)
盛行   5才(従兄)
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従兄 父の兄の子
若くして両親が他界、私の両親が引取り生活
32才で交通事故の為他界

私の「兄」のような存在でした・・・

私の父は 几帳面な性格で
写真の裏に メモ書き遺したのでしょう。

私が生まれる2年前(第二次大戦下)
勿論、私は存在しません。

何か不思議な感じです。


両親の元、私が生まれ
父は祖父母から
当たり前のことですが・・・。

家系」が気になります。

IMG_20140906_0001 (2) S1○(メモ判読出来ず)年 上野公園(デート中)

イケメンの父
モデルさんの様なお袋
私の記憶の中の「両親」とは、かけ離れたイメージ

IMG_20140906_0001.jpg 古いアルバムに張られていた母のスナップ父が らぶらぶ・・・

こんな時があったのか・・・!」と、
親不孝な事、思ってしまいます。

記憶の中の両親は 終戦後の厳しい中
ゆとり等なく、必死に子供を育て、
気難しい「祖母」と暮らし
想像に難い時代だったのでしょう。

「家は小栗上野介(幕末・明治の偉人)
と関係があった」 という話を 父から聞いた事があります。
(祖先? 家臣?)

その時は、気にも留めずにいたのですが
写真のメモを見て、祖先は誰か気になりました。





名前を出せないお客様宅 -2

私の東芝「System kitchen shop」時代
30数年前のお話し

kp SR ueno写真

当時 某 百貨店 外商・建装部という部門から
(インテリア工事 商品等扱い)仕事の依頼

とにかく、何でもやって、稼がねばならない私
「お願いします」と即答

集合場所は JR西川口駅 銀行前
監督さんに従い 現場へ

なんと!!!
超高級 ソープランド店

新装改装で店内に
「高級家具 什器」を運び込み
セッティングする仕事でした。


℡では「高級 ソープランド」との話は
一切無く 正直面くらいました。

事務所らしきところで、お店の責任者へ挨拶

イケ面の 蝶ネクタイ姿の優しそうな方
「ご苦労様です!よろしくお願いします。」
と丁重に 頭を下げられました。

車から 慎重に荷降ろし
各階へ搬入

初めて見る店内はさすが「超高級店」
内装仕上げは素晴らしいの一言

無論そのようなお店には無縁だった私
驚きの連続でした。

ルイ14世が使用していたようなバスタブ
まるで平安時代のお部屋
寝屋というのでしょうか・・・

家具を傷つけないよう、細心の注意を払い
ほぼ終了と言う時 1Fに降りて行きましたら.

凄まじい怒鳴り声が耳に

見ると、
土間に一人の職人さんらしき人が、
土下座
何かしきりに謝罪

1383832818CpTQYKuRGCzTsFYk_post[1] 迫力ありすぎ・・・ IMG_20140829_0004.jpg ご存じ「高倉 健さん」


今朝挨拶した「優しそうな方」
さらし姿で 日本刀を床(畳)に突きさし
怒鳴っていました。
背中には 紋紋が

「てめ―!どうやっておとしまえつけるんだ!!」
今朝見せた優しい方とは 全然別人


何をしたのか私には?

触らぬ神にたたり無し・・・
我々は黙々と仕事を終わらせるのみ・・・

暫くすると 静かになりました。

仕事終え 挨拶に
今朝お会いした「優しい方」へ戻っていました。

モデルさんのような女性が何人も・・・
新規採用の面接だったそうです。

別れ際 
「○万円から〇万円へ御優待」と書かれた
サービス券を頂きました。
「可愛い子ばかりでしょう !」

勿論、使用したことはありません。

普段目にしない世界を、垣間見た出来事でした。

三回死にそこなったお話し(戦後---)-3

私が生まれたのは
太平洋戦争 末期 敗色濃い S20/1/5
(終戦 S20/8/15 ですから7ヶ月前)

その1.
埼玉県川口市で,生まれた直後に
「空襲警報」


その2.
1才に満たない赤ん坊の時
中耳炎になり

麻酔も無し 耳の後ろの頭骨を
「ノミ」(大工道具)で切開手術


これらは 勿論私の記憶ではなく
後日両親から聞いた話。

その3.
これから書く記事は
断片的な「私の記憶」と
両親の話によります。

magome2[1]

戦後、S26に移り住んだ「戸山ハイツ

今では考えられない
野趣あふれる「田舎」でした。

今では、当たり前に見られる
消防用消火栓

当時の「戸山ハイツ」には無く
家の近くに
大きな防火用水がありました。
(水泳プールの様なもの)

現在は、地中に埋め込む方式に変わり
このような「露出型」は目にしません。

私の家の近くには
「長方形」「円形」と2ヶ所ありました。

恐らく戦時中
軍が空襲に備え、作ったものだと思います。

当時の防火用水の周囲には
柵がありましたが 簡単に出入り出来ました。

冬場は氷が張り 上で遊べました。
(当時 気候はかなり寒かった)

模型の船を進水させたり
蛙を捕まえたり

恰好な遊び場でした。

一人で 防火用水の縁を歩いていましたが
滑って 用水に落下!!

体が沈んで行く時
「水面(みずも)」がきらきら輝き
「綺麗・・・」

「このまま僕 死んじゃうの・・・」

薄れてゆく意識の中で 子供ながら、よぎりました。 


IMG_20140827_0001.jpg

私が防火用水に落ちた時
偶々 近所のお兄さんが「釣」をしており

落ちたのを目撃
しかし水は濁っており
私は見つからず・・・

しばらくすると 私が水面に浮かんできて
着物の帯をつかみ
引き上げてくれたそうです。

(季節は夏 浴衣を着ており 帯が良かったのでしょう)

救急車で国立病院へ運ばれました。

気がつくと、病院のベッドの上
両親の顔が、目に入りました。

幸い水も飲んでいず
その日のうちに、自宅に帰れました。

祖母の泣き顔・・・


近所のお兄さんがいなければ・・・

「命の恩人」とは まさにこの事
後日 両親がお礼に伺うと

「ユキちゃん(当時の愛称)が元気で良かった!」
「気にしないで下さい」と
お礼も受け取らなかったそうです。

当時は 「横の繋がり」
コミュニティが
出来ていたのですネ・・・

時とともに そうした繋がりが希薄に
仕方無いのでしょうか・・・

幼少期に三回 死にかけ
三回 助かりました。


神様が見守ってくれたのか
何か 不思議な「力」を思います・・・

三回死に損なったお話し(戦中・戦後・・・)-2

小学生の頃 行きつけの
床屋さん(古い言い方ですネ)のマスターから
(幼友達のお父さん)

「ユキちゃん(当時の愛称)中耳炎やっているね。」
左耳タブの後ろを触り、
「ここの骨削った跡があるよ」
と言われました。

さわってみると
確かに、くぼみが分かります。

IMG_20140824_0001 (2)

帰宅後、両親に聞くと
驚くべき話が・・・!!!

1才頃
私の左耳から「膿」が・・・

近くの病院へ
見るからに若い インターンのような
男の先生(父親談)が対応してくれたそうですが

思わず「大丈夫?」と不安がよぎったそうです。
他に選択肢はなく お願いせざるを得ない状況。

「すぐ手術しないと、手遅れになります。」
「御両親も立ち会って下さい」


病室内には木製の台(ベット等無く)
上に畳が敷かれ
私は 動かないよう
荒縄」で縛られ

先生が、大工道具の「ノミ」を取り出し
私の耳の後ろに穴を・・

当時、薬も無く
赤子に、麻酔も出来ず
設備も無く 助手もいず

ナイナイ尽しの
凄まじい「手術」


両親は、とても見ておれず
「おまかせしますので」と退室


暫く激しい鳴き声が、していたそうですが
すぐに消え・・・

てっきりダメかと思ったそうです。

程なく 先生から呼ばれ
「無事終わりました。暫く通院して下さい。」
と告げられ

思わず「生きていた!!」
涙にくれたそうです。


当時の「銭湯」は汚れており、お湯が真っ黒
「耳にバイ菌が入ったのが原因では」と 
先生から聞いたそうです。

現代の外科医
神の手を持つ「ゴッドハンド」
呼ばれる先生が、マスコミ TVでも
しばしば、紹介されております。

お世話になった先生は
まさに「ゴッドハンド」
神の手を持つ先生だと思います。

それも手術用具ではない 
大工道具「ノミ」を使用しての
手術ですから・・・

勿論、私に「記憶」があるはずもなく
以来、何の不自由も感じていません。

よくぞ無事でと思います。

「両親の苦労 心配」を思うと・・・

感謝の言葉 

今は、墓前で言うしかありません。

三回死に損なったお話し(戦中・戦後・・・)-1

「戦中・戦後の混乱期に、よくぞ無事生きながらえた。」
以前書きました。

私の努力等勿論 あるはず無く
全て両親の「加護」の賜物です。

生まれたのは 埼玉県川口市(S20/1/5)
終戦末期に何故川口に「疎開」していたのかは?

母親の話

川口の電車線路を、
祖母と母(臨月)二人で、バケツを手に
コークス(石炭かす・燃料にした)」拾い

ほどなく,お腹が痛くなってきたそうです。

祖母
「そんなんじゃ まだまだ、生まれない」

痛さこらえ「コークス」拾い
いよいよ我慢出来ず

黒川産婦人科

(以前ネットで黒川産婦人科を検索
1件ヒットしました。今回は見つからず。閉院したのか?
同じ産院かも不明)

すぐに 私が生まれたそうです。

b29raid[1] B29 無差別 焼夷弾 爆撃

直後 「空襲警報!!」

病院内は真っ暗----灯火管制
(電気を全て消し、窓は黒い布で覆う 文字通り月明かりのみ)

先生 看護婦さん全員「防空壕」へ退避
母と私は病室に置き去り・・・

しかたなく、母は、,生まれたばかりの私を、抱きかかえ
狭い「防空壕」へ 逃げ込んだそうです。

幸い被害は無く 警報解除
病室に戻ったそうですが

廊下に「血痕」が点々と・・・

戦争末期,よくぞ無事でいられたと思います。

「母は強かった!」

今となっては 感謝の言葉を直接かけられません。

「親孝行 したい時には 親は居ず・・・」

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参考(ネット検索:川口市空襲)

ある資料では、戦時中の空襲により
死者29名、負傷101名、全焼150戸 全壊41戸
罹災1183名とあります。


又、別の資料では
17年4月18日  日本ディーゼル川口工場爆撃
            死者12名負傷88名
20年3月04日 戸塚 死者3名
20年3月10日 B29 1機撃墜墜落炎上
20年4月03日 並木町 死者1名負傷16名 全半壊95戸
20年4月13日 市内各地 全焼82戸 全壊80戸 死傷者不明
20年8月10日 市内各地 死者15名負傷者25名 全壊13戸
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記録によれば、1/5以降3/5まで「空襲」は無かったようです。

川口市から東京 杉並区 荻窪
引っ越したと聞いていますが、
詳細は?

両親が他界した今、知る術はありません・・・

63年前にタイムスリップ(我家訪問)

「少年時代」「青春時代」を過ごした 
新宿「戸山ハイツ

日本の公営住宅のはしり
都営住宅第一号と言えるでしょう。
(S26 入居)

戦後の住宅難解消の為 占領軍(古い呼び名ですネ)
マッカーサーの指令で、急遽建てられた建物ですが
現在の住宅事情とは、比較にならない「代物」でした。

IMG_20140815_0001 (5) 2014_0815_160733-IMG_20140815_0001 (6)

残念ながら 住宅内部写真が無く(当時カメラは超高級品)
記憶にもとずきスケッチを描きました。

IMG_20140822_0001.jpg

入居時は トイレ 流しがあるだけ
今風に言えば「ワンルーム」

その後 スケッチの様に、間仕切り(個人負担)

① 玄関
② 和風トイレ(水洗)手洗い付
       ✰近隣の畑に「肥溜め」が残る時代 水洗トイレは画期的
キッチン 流し台(木台に亜鉛鉄板貼り)
         コンロ台
         単水洗
④ ダイニング ちゃぶ台使用
⑤ 和室 6畳 2間
⑥ 洋室1
⑦ 洋室2 後に私の勉強部屋
⑧ 押し入れ お仏壇置
⑨ 庭付き 未整備の状態

建物仕様

外装 天然木(松?)羽目板 節付き
冬場の隙間風 大変でした。
24時間自然換気

床 天然木フローリング(樹種?)
   ささくれ立っているところ 釘頭が出ていたり
   気をつけないとケガ・・・

●窓 代用ガラス(アミ戸にセロハンを貼ったようなもの)
 突っ張り棒タイプ
 風が吹くとパタパタ音がしました。

●隣戸との境 薄いベニヤ板
 筒抜けでした。

不動産広告をもじってみました

●庭付き 一戸建て(人気の平屋
 ワンルームタイプ お好きなように間仕切り出来ます

●天然素材多用 ホルムアルデヒド ゼロ
 シックハウス症候群 心配無用

●早稲田大学 学習院 戸山高校 東戸山小 教育環境抜群

●水道 ガス完備(個別プロパン) トイレ水洗 
●ハイツ内に銭湯
●国立病院隣接

交通至便
山手線「新大久保」徒歩圏 
バス停 2ヶ所(中野~新橋)
都電13号線駅(新宿~秋葉原) 

自然環境抜群 箱根山 山頂 360度展望・・・
 狐 タヌキ フクロウ 蛇 と暮らせます。


将来土地付きで 入居者に払い下げ

当時の家賃は結構高額
入居者が埋らなかったそうです。

そこで「いずれ払い下げ」との話しが・・・

その後 住宅事情変化により
S47 中高層住宅へ建替 方向転換

払い下げは反故に


IMG_20140822_0001 (2) IMG_20140823_0002.jpg レトロな「ガス七輪」マッチ点火 

  キッチン仕様

    ●流し台 木製亜鉛鉄板貼り
         単水栓
    ●ガス台 同上
         ガス七輪 ゴムホース接続
         ゴムホースの劣化
         ガスコックからのはずれ
         により「ガス漏れ事故」多発
         後に「金属パイプ接続」に改良されました。

    ●換気扇 付いていたか?
    ●壁   亜鉛鉄板貼

    床 壁がジメジメしており
    梅雨時は「ナメクジ」
    塩をかけると溶けてしまいます。
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床下から「人骨」!!

お巡りさんまで、出動する
大騒ぎになりましたが
標本でした。(期待はずれ・・・)

庭と呼べる状態ではなく「瓦礫」をどかす重労働
戦時中の弾丸 焼夷弾等 
米軍のお土産がザクザク
(主役はお袋 私はたまに手伝い 親不孝!)

当時「鉄」「銅 あかと呼びました」は高く
売れましたがさすがに 米軍のお土産は・・・

IMG_20140823_0003.jpg

建物仕様の貧弱な事など 当時は気にならず
年と共に「暮らし」が良くなっていった時代・・・

ちゃぶ台には 新聞を読む父親
流しの前には「割烹着」姿の母親
妹がお手伝い

優しさに包まれた「暮らし」がありました。


シー&シー・キッチン

我 こころの「三丁目の夕日」----新宿に「箱根山」??

東京の中心に
箱根山」?

ご存じない方は「ウッソ―!!」と思われるでしょう。

れっきとした「山」があります。
標高44.6m
東京23区内で標高が一番高い所


緑 色濃い「戸山公園」の中に
にそびえて(?)います。

江戸時代の大名が「箱根」を模して
芦ノ湖 松並木 庭園を造った名残

現在は「戸山公園」として東京都が管理

私が移り住んだ昭和26年頃
記憶をたどり
つたないスケッチを描きました。

IMG_20140817_0001.jpg

当時の 箱根山
1000戸の一戸建住宅がぐるりと立ち並びます。

1950kyoukai[1] S25 「戸山教会」 左手の小高い丘(山)が「箱根山

箱根山は手つかずの自然
TV ゲーム 等無い アナログ時代
子供達(私達)の格好の遊び場所

中腹には戦時の名残
防空壕があり 
「ローソク」を持ち込み
悪ガキ達と 遊びました。
(まさに秘密基地)

中は、ただ 山の中腹をくりぬいただけの穴
補強もされてません。
よくぞ崩れずに済みました・・・

後日小学校で「立ち入り厳禁」のお達し
埋め戻されてしまいました。

当時山頂からは
新宿方向に「伊勢丹デパート」が見え
山の手線「新大久保」駅ホームの電車がダイレクトに
見えました。
晴れた日には富士山の景観が圧巻
隅田川の花火
360度ぐるりと見渡せるスポットでした。

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戸山教会
下部は教会に似つかわしくない
石積みの何やら要塞・トーチカのような建造物

陸軍施設・青年将校の会議場だったとのこと(真相は?)
上に教会が建っています。

戸山地区は
「戸山ヶ原 陸軍戸山練兵場 軍事施設」の跡地
移り住んだ当時 戦争の名残をあちこちに見ました。


IMG_20140820_0001.jpg 写真は他の銭湯・こんな感じ・・・

銭湯
こちらも悪ガキ達との遊び場
ご近所の方との「コミニュケーションセンター」

ネイバ―フッドセンター
アメリカン・フレンズ奉仕団(AFSC)
S24 開設

大学時代
青年会(古いネーミング)活動拠点
ダンス・バンド演奏と
青春を謳歌した場所です。

2013_0406_141606-P4060110.jpg IMG_20140824_0001.jpg S38頃UFOのような建造物

現在の山頂
コンクリート敷きの広場
手すりがあり
山頂を示す看板

戸山公園サービスセンター
に立ち寄ると
登頂証明書」を発行します。
と書かれています。

「役所も粋な事を」 と見直しました。

末文には
どうか御無事に下山されますよう祈念しております

2013_0406_141708-P4060114.jpg

2013_0406_141622-P4060113.jpg 2013_0406_141848-P4060117.jpg 当時は無かった岩がゴロゴロ

山頂周囲は桜の木が植えられ           
見晴らしは期待できません。
木々の間から、新宿方向がかすかに見られます。  

2013_0406_141915-P4060118.jpg 2013_0406_141516-P4060109.jpg 2014_0817_135942-caption[2]

5合目(?)におかれたベンチ             登山道が整備されています。
                              (数分で登れます)      

IMG_20140820_0003.jpg

東京 新宿の中心にある
戸山公園 箱根山

自然が感じられる癒しスポット

桜の時期はお勧め
一度訪れては・・・

我 こころの「三丁目の夕日」

映画「三丁目の夕日

描かれている昭和の時代
私の育った時代と重なります。

通った小学校 新宿区立東戸山小学校
戦後のベビーブームの時代

IMG_20140815_0001.jpg

校庭に池 
江戸時代の大名が
箱根を模して
箱根山(人工) 芦ノ湖 街道には並木
一大庭園を作り
校庭の中に 池として残りました。

冬場は氷が張り、スケートが出来ました。
校舎建替時に「芦ノ湖」は消滅・・・

IMG_20140815_0001 (2)

ひとクラス50名 4組ありました。
教室が不足してたのですネ

前列右端
ボーダーの入ったセーターが私
お袋の手編み 懐かしいですネ

IMG_20140815_0001 (8)

三丁目の夕日」 淳之介君がボーダーの
セーター着ていました。
当時の流行・・・

IMG_20140815_0001 (3)

教室内はすしずめ
現在の「少子高齢化
誰が予想出来たでしょう・・・

IMG_20140815_0001 (4)

校庭で「ドッジボール」
校庭が狭く感じます。

後方の平屋が 戸山ハイツ
(分かりにくい写真ですが 占領軍マッカーサーの指令
で急遽建てられ、千軒長屋と呼ばれました)

IMG_20140815_0001 (5) IMG_20140815_0001 (6)

我家の前で 近所の「タケちゃん」と        
まるで戦災孤児 浮浪児・・・

1棟が2戸住宅                    
隣住戸と薄いべニア板で仕切り                             

外装は羽目板が貼られただけ
(断熱材等なし)
節があり外が丸見え 
冬場は大変

祖母
この家 ガス中毒は無いネ

天井に貼られていた薄いべニア板に
何故か足跡が
子供心に「どうやって逆さまに歩けるのか
不思議でした。

玄関横の窓
ガラスではなく板張り 
突っ張り棒を使い開閉

家の前も未舗装

IMG_20140815_0001 (7) IMG_20140906_0006.jpg
                                   
私の妹・弟                            後方に当時の住宅が写っています。
今では皆 孫付き「高齢者
当時の生活が伺えますネ・・・
(弟が加わり4人兄弟になりました)             

120008195[1] s_auto[1]

hiroba[1]

何故か 広場に大きな土管があり
格好の遊び場でした。

60年前の新宿・・・
「隔世の感」です。

我 こころの 「Stand by Me」

軽快な音楽 
聞けば思いだす 有名な映画
Stand by Me 」

stand3[1]

私が生まれたのは終戦末期 混乱期によくぞ生き残ったと思います。
(昭和20年1月5日 埼玉県川口市)
6才の時に新宿区 戸山ハイツに
私の父が「都営住宅」に申し込んだ結果です。

現在は「都会の限界集落」と度々マスコミにも登場
口の悪い記事には 東京都大型老人ホーム 等と書かれて
います。(30棟以上の大型中高層団地 住人の高齢化)

当時は とても都会とは程遠く
家の周りはまさに田舎

狐 タヌキ 蛇が出没
田んぼがあり 終戦の名残の「軍服・高射砲陣地の跡・
大量の人骨発見(陸軍秘密部隊の名残?)」・・・

学習院の森には 泉があり綺麗な小川 クジャクがいました。
我が家の前の大木のムクロにはフクロウ
夜には「ホー・ホー」と鳴き声

東京都23区で一番標高の高い「箱根山
悪ガキ共の遊びの秘密基地・・・

今の景色からは、とても信じられない光景!

当時 進駐軍・マッカーサーの指令で(不足する住宅補う緊急策)
旧陸軍幼年学校敷地に 1000戸の平屋
仮設住宅の廉価版を建てたのが始まりです。
その後人工増のため中高槽団地に変貌

photo167[1]
 
都電13号線 万世橋--新宿(S40年代写真)
26年頃は高層ビルは伊勢丹のみ

photo169[1]

住み始めて間もなく 悪ガキ代表 A君と仲良くなり
二人で新宿へ

何日か前に親と一緒に新宿へ行きましたが
話しているうちに、 二人で意気投合  

戸山ハイツから都電13号線をたどり 新宿西口へ
都電の線路脇を歩き
運転手さんに 怒鳴られ 警笛鳴らされ

Stand by me のシーンと重なります。


新宿西口

現在は高層ビル群ですが 当時は淀橋浄水場跡地
広大な空き地でした。
工事用「トロッコ」で遊んだ記憶があります。

お金も持たず お腹もすきましたが
現在の歌舞伎町あたりを歩いていると
綺麗なオネーサンが
「坊やたち こんなとこ来ちゃだめよ」と言い
おにぎりをくれました。

今思えば 新宿の「赤線地帯
子供が通る場所ではなかったのでしょう。

080502-0348-[1]

家に戻ったのは 日も暮れ
すっかり暗くなってから。

家の前に 赤色灯を回した「パトカー」
近所の人が大勢集まり

「行方不明の少年二人」
誘拐事件かと 大騒ぎになっていました。

photo161[1]

13号線 新宿駅終点
右側が歌舞伎町
奥に国鉄の大ガードが見えます。

photo171[1]

牛込柳町

写真では分かりにくいのですが
大久保通り 両側が坂
谷間になっています。

交差する道路があり
常時交通渋滞

排気ガスが「谷間」に停滞 
住民の健康被害が 当時問題に
柳町公害

中国 北京 で同じ事が起きています。
日本の過去から 「学ぶ」事はないのでしょうか?

photo166[1]

荒川車庫前
ご存じのように現在は
「荒川線」のみが稼働

IMG_20140812_0001 (2) IMG_20140812_0001.jpg

スイス チューリッヒ  2012.5.30^ チューリッヒ観光 NO.1-5(記事)

海外では「路面電車」が活躍しているのを
度々目にします。
美しい街並に溶けこむ クリーンなトラム(排気ガスゼロ)
思わず見とれてしまいます。

東京の「都市交通計画」は
「都電」を消し、
バス路線に変えた訳ですが・・・

皆さんはどう思いますか?

名前を出せないお客様宅

私の東芝「system kitchen shop 」時代
30数年前のお話・・・

当時お世話になっていた H専務様
小生が独立する際に、何かとお世話になった方ですが

ある日
「紹介したいお客様があるから 同行して欲しい」
「一般の方とは異なりますが、会えば分かります」
とのことでお客様宅へ

「何が異なるのか?」と思いつつ・・・

都内某所 閑静な住宅街の一画に お客様宅はありました。
客間に案内され 待つことしばし・・・

品の良い お年をめした「お爺様
眼力があり「只者ではない」と思わせる 風貌

20100112_1659606[1]

猫の世界だったらこんな顔立

「嫁が台所を直して欲しいと言っているから
話 聞いてやって下さい」との事

女性が3人現れ
何の事だか分からずにいる 私に
「1番若いやつの話 聞いてやってくれ」
とのこと

何と 3人奥様が・・・
茫然自失とはこの事
事態が呑み込めません・・・


とにかくお話しをお聞きする事に

yakuza4n-11-web[1] yahoo

一段落すると

家の若い衆とも顔を合わせる事もあろうから紹介しとこう」

別室から パンチパーマの若い衆が
何人も現れ畳に頭をつけ
「よろしくお願いします!!」
(ボディーガード兼秘書)

掌が目にはいりましたが 指が欠損している方・・・ 
ようやく私にも事態が飲込めました。

「某〇〇組の大親分宅」

普通の住宅 優しそうな 「好々爺
とても「大親分」とは思えません。

キッチンの打合せも無事終了
私のことを気にいって頂けたのか
家の作りの秘密」を話して下さいました。

客間の和室 
畳下には、大型床下収納庫
中には「刀etc・・・・」

廊下はまっすぐではなく 直角に曲がり
壁の1部は押すと開き 外部につながる通路が出現

2階に上がる階段は急勾配の梯子 
出入り」があったら即座にはずせるように・・・
(ポンと脚で蹴ると外れます)

まるで「忍者屋敷」

然し周りの方は普通のお宅と思っているそうです。
外見は全く普通の住宅と変わりませんから。

仕事をしくじったら大変
いつも以上に 注意し 緊張しまくり 何とか 無事終了

請求書をお見せすると 

頭を深々と下げられ
「ご苦労様でした。おかげ様で嫁も喜んでいます」
気持ちよく支払って頂けました。

後日 H専務
「一般の人には、丁寧に対応してくれますョ」と
話されましたが・・・

めったに体験出来ないお話
しかし1度で十分・・・

余談

132966873155113205718_img01[1]

yahooで 「ヤクザ・写真」 と検索しましたら
小泉前首相が掲載されていました。

もしかして・・・

小泉前首相って「小泉組 組長」だったの?
そんな訳ありませんよね !

意味分かりません。
プロフィール

kitchenplaza

Author:kitchenplaza
早稲田大学経済学部卒業/30数年前に東芝にてシステムキッチン業務を開始(企画開発業務)/三井ホームにてキッチン事業構築、輸入キッチン(ポーゲンポール・ジーマティック)等経験後独立

数多くの輸入・国産キッチンの開発販売にたずさわり『日本のキッチンは高すぎる! 』の信念にもとずき「リーズナプルプライス・高品質キッチン」 の提供をライフワークとして取組んでおります。

事業開始後2016年1月現在300件を超えるお客様にキッチン・家具をお届けしてまいりました。

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