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三回死にそこなったお話し(戦後---)-3

私が生まれたのは
太平洋戦争 末期 敗色濃い S20/1/5
(終戦 S20/8/15 ですから7ヶ月前)

その1.
埼玉県川口市で,生まれた直後に
「空襲警報」


その2.
1才に満たない赤ん坊の時
中耳炎になり

麻酔も無し 耳の後ろの頭骨を
「ノミ」(大工道具)で切開手術


これらは 勿論私の記憶ではなく
後日両親から聞いた話。

その3.
これから書く記事は
断片的な「私の記憶」と
両親の話によります。

magome2[1]

戦後、S26に移り住んだ「戸山ハイツ

今では考えられない
野趣あふれる「田舎」でした。

今では、当たり前に見られる
消防用消火栓

当時の「戸山ハイツ」には無く
家の近くに
大きな防火用水がありました。
(水泳プールの様なもの)

現在は、地中に埋め込む方式に変わり
このような「露出型」は目にしません。

私の家の近くには
「長方形」「円形」と2ヶ所ありました。

恐らく戦時中
軍が空襲に備え、作ったものだと思います。

当時の防火用水の周囲には
柵がありましたが 簡単に出入り出来ました。

冬場は氷が張り 上で遊べました。
(当時 気候はかなり寒かった)

模型の船を進水させたり
蛙を捕まえたり

恰好な遊び場でした。

一人で 防火用水の縁を歩いていましたが
滑って 用水に落下!!

体が沈んで行く時
「水面(みずも)」がきらきら輝き
「綺麗・・・」

「このまま僕 死んじゃうの・・・」

薄れてゆく意識の中で 子供ながら、よぎりました。 


IMG_20140827_0001.jpg

私が防火用水に落ちた時
偶々 近所のお兄さんが「釣」をしており

落ちたのを目撃
しかし水は濁っており
私は見つからず・・・

しばらくすると 私が水面に浮かんできて
着物の帯をつかみ
引き上げてくれたそうです。

(季節は夏 浴衣を着ており 帯が良かったのでしょう)

救急車で国立病院へ運ばれました。

気がつくと、病院のベッドの上
両親の顔が、目に入りました。

幸い水も飲んでいず
その日のうちに、自宅に帰れました。

祖母の泣き顔・・・


近所のお兄さんがいなければ・・・

「命の恩人」とは まさにこの事
後日 両親がお礼に伺うと

「ユキちゃん(当時の愛称)が元気で良かった!」
「気にしないで下さい」と
お礼も受け取らなかったそうです。

当時は 「横の繋がり」
コミュニティが
出来ていたのですネ・・・

時とともに そうした繋がりが希薄に
仕方無いのでしょうか・・・

幼少期に三回 死にかけ
三回 助かりました。


神様が見守ってくれたのか
何か 不思議な「力」を思います・・・

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プロフィール

kitchenplaza

Author:kitchenplaza
早稲田大学経済学部卒業/40数年前に東芝にてシステムキッチン業務を開始(企画開発業務)/三井ホームにてキッチン事業構築、輸入キッチン(ポーゲンポール・ジーマティック)等経験後独立

数多くの輸入・国産キッチンの開発販売にたずさわり『日本のキッチンは高すぎる! 』の信念にもとずき「リーズナプルプライス・高品質キッチン」 の提供をライフワークとして取組んでおります。

事業開始後2020年1月現在350件を超えるお客様に
キッチン・家具をお届けしてまいりました。

最近は キッチン以外 時事 旅行 クッキング 日常等 脈絡なく記しています。

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