Actus(ポーゲンポール)への転職
三井ホーム・インテリア部門での期間は、私のキッチン・ビジネス・ライフの中で多くの知識、経験の場となり、貴重な期間となりました。
独立後、ソーホー・ビジネスの典型とも言うべき「輸入キッチン」の会社を立ち上げましたが、入る情報量は限られます。
というより自分から能動的に動かなければ、情報は入ってきません。在職中はデスクに座っていても、周りから「情報」が入ってきます。
岡田社長、Y部長、同僚、メーカー、新聞社等数え切れない情報に「見舞われ」ます。
大手の有難さは、離れて初めて分かるものです。
インテリアコーディネーターへの、キッチン取扱開始に向けた業務も一段落した頃、私の
「ドイツ・キッチン」を扱ってみたい、という願望が起きてまいりました。
当時、ポーゲンポールの商権を得たActus(アクタス)が業界で話題となっていました。
何と、1000万プレーヤーが何人もいる、というものでした。
ならば挑戦するしかしかない、と応募致しました。
試験等なく、当時話題の「桐山社長」との面談のみ。
社内の雰囲気は東芝、三井とは大違い、社員は私服でサラリーマンの制服「スーツ」は一人もいません。さすがインテリアを扱う会社という雰囲気でした。
幾つかの質問の後、大きな鉛筆(小学生の時、遠足で買った鉛筆のような)でメモ紙に何やら書き込み、手渡されました。
「青山店次長、年俸00万」とだけ大きな字で記されていました。
「良ければ人事と話して下さい」と言われ席を立たれました。
人事の方とお話しましたが「驚かれましたでしょう。メモ書きがいわば採用通知、辞令ですから」と笑顔で言われました。
その後三井ホームでの退職申し入れ、入社するのも、退職するのも大変な事。
退職の前日、当時のT専務に呼ばれました。
「今夜予定開けておくように」と一言。
その夜、新宿三井ビル近くのホテルの「高級レストラン」に招待して頂き、ディナーをご馳走になりました。
「何処へ転職するのか?」「何故辞めるのか?」とか質問される事を想像し、気持が暗くなって、臨みましたが、何もおっしゃらずただ「ご苦労様と労をねぎらう」という会食でした。
小柄で笑顔が憎めない、ちょび髭がトレードマークのT専務さん、
今でもその夜のことを鮮明に思いだします。
kitchenplazaホームページ
独立後、ソーホー・ビジネスの典型とも言うべき「輸入キッチン」の会社を立ち上げましたが、入る情報量は限られます。
というより自分から能動的に動かなければ、情報は入ってきません。在職中はデスクに座っていても、周りから「情報」が入ってきます。
岡田社長、Y部長、同僚、メーカー、新聞社等数え切れない情報に「見舞われ」ます。
大手の有難さは、離れて初めて分かるものです。
インテリアコーディネーターへの、キッチン取扱開始に向けた業務も一段落した頃、私の
「ドイツ・キッチン」を扱ってみたい、という願望が起きてまいりました。
当時、ポーゲンポールの商権を得たActus(アクタス)が業界で話題となっていました。
何と、1000万プレーヤーが何人もいる、というものでした。
ならば挑戦するしかしかない、と応募致しました。
試験等なく、当時話題の「桐山社長」との面談のみ。
社内の雰囲気は東芝、三井とは大違い、社員は私服でサラリーマンの制服「スーツ」は一人もいません。さすがインテリアを扱う会社という雰囲気でした。
幾つかの質問の後、大きな鉛筆(小学生の時、遠足で買った鉛筆のような)でメモ紙に何やら書き込み、手渡されました。
「青山店次長、年俸00万」とだけ大きな字で記されていました。
「良ければ人事と話して下さい」と言われ席を立たれました。
人事の方とお話しましたが「驚かれましたでしょう。メモ書きがいわば採用通知、辞令ですから」と笑顔で言われました。
その後三井ホームでの退職申し入れ、入社するのも、退職するのも大変な事。
退職の前日、当時のT専務に呼ばれました。
「今夜予定開けておくように」と一言。
その夜、新宿三井ビル近くのホテルの「高級レストラン」に招待して頂き、ディナーをご馳走になりました。
「何処へ転職するのか?」「何故辞めるのか?」とか質問される事を想像し、気持が暗くなって、臨みましたが、何もおっしゃらずただ「ご苦労様と労をねぎらう」という会食でした。
小柄で笑顔が憎めない、ちょび髭がトレードマークのT専務さん、
今でもその夜のことを鮮明に思いだします。
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