S&HJapan(SieMatic)設立H2・11
歴史-6 2011-02-04記事にSieMaticシステムキッチンについて、東洋化成前川常務(当時)がレコード製作会社という「異業種企業」での事業だった事にふれました。
創世期に事業を開始された先駆者である事は言うまでもありませんが、H2・11に別会社としてスタートされます。
当時私はキッチン業界とは若干異なる、不動産会社のインテリア部門の責任者として働いておりました。
日本住中がバブル景気に踊っていた時で、2億で売りに出された建売住宅がいくつかの不動産会社間で転売を繰り返される度値上がりし、8億もの金額に化ける時代でした。
その間扱う会社、セールスマンは「取扱手数料 3%」を手にするという「バブル」でした。
まもなくバブルも終焉、多くの企業、庶民がババをつかまされ大変な時代に陥ったのもつい最近の事と思い出されます。
この頃「SieMatic」が独立会社となり近々新会社立ち上げとなることを、Aさん(歴史-15
にて記事)よりお聞きし、新会社メンバーに参加依頼を頂きました。
私にとりPoggenpolというある意味ライバル会社に在籍していた人間に声をかけていただけるとは思ってもいませんでしたが「ドイツキッチン最高峰」という「SieMatic」を扱えるのは私には願っても無い事で、前川社長と面接する事となりました。
当時の事務所は中央線大久保駅近くのビル。
設立準備中の事務所 社長室で面接。社長お一人で事務所におられ
「A専務の下で彼を支えてくれ」と言われました。
無論私にお断りする理由等なく、S&HJapanにお世話になる事となります。
創世期に事業を開始された先駆者である事は言うまでもありませんが、H2・11に別会社としてスタートされます。
当時私はキッチン業界とは若干異なる、不動産会社のインテリア部門の責任者として働いておりました。
日本住中がバブル景気に踊っていた時で、2億で売りに出された建売住宅がいくつかの不動産会社間で転売を繰り返される度値上がりし、8億もの金額に化ける時代でした。
その間扱う会社、セールスマンは「取扱手数料 3%」を手にするという「バブル」でした。
まもなくバブルも終焉、多くの企業、庶民がババをつかまされ大変な時代に陥ったのもつい最近の事と思い出されます。
この頃「SieMatic」が独立会社となり近々新会社立ち上げとなることを、Aさん(歴史-15
にて記事)よりお聞きし、新会社メンバーに参加依頼を頂きました。
私にとりPoggenpolというある意味ライバル会社に在籍していた人間に声をかけていただけるとは思ってもいませんでしたが「ドイツキッチン最高峰」という「SieMatic」を扱えるのは私には願っても無い事で、前川社長と面接する事となりました。
当時の事務所は中央線大久保駅近くのビル。
設立準備中の事務所 社長室で面接。社長お一人で事務所におられ
「A専務の下で彼を支えてくれ」と言われました。
無論私にお断りする理由等なく、S&HJapanにお世話になる事となります。